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ついに全機が完成したブルースター・バッファロー。
1941年6月22日に独ソ戦が始まると、フィンランドも6月25日にソ連へと宣戦を布告。
カレリア地方はじめとする奪われた土地の奪還を目指して進撃を開始します。
継続戦争の始まりです。
ドイツ軍は、フィンランド軍がレニングラード(サンクトペテルブルク)方面まで
共に進軍することを要望しましたが、フィンランドは応じず、旧領の奪回を達成した
段階で防衛に有利な状態で布陣し、その後は塹壕戦・持久戦へと推移しました。
その後、ドイツ軍はレニングラード攻略を諦め、更に戦闘の中心も南部へと移った
為、フィンランド軍は1944年まで戦線を維持しました。
しかし、1944年1月にソ連軍がレニングラードのドイツ軍を突破。一気に反撃に転じると、
フィンランド側も次第に後退を余儀なくされ、水面下でソ連との和平交渉を開始。
対ソ戦指導者の処罰、港湾や飛行場の租借、多額の賠償金、そして冬戦争後の国境線に
戻す(ソ連有利の国境線)、更にフィンランド国内に展開するドイツ軍の排除といった
厳しい条件を提示されましたが、フィンランド側は戦闘で激しい抵抗を見せつつも、
最終的にソ連側が提示した条件の大半を受諾。
しかし、それだけでは終わらず、「昨日の友」であったドイツ軍を追撃する戦闘
(ラップランド戦争)にフィンランド軍は参加を余儀なくされました。
このBW-364号機はフィンランド空軍のトップエース、94機撃墜のI.ユーティライネン
准尉が主に搭乗。
冬戦争中、飛行第24戦隊でオランダ製フォッカーD.21に搭乗したユーティライネンは、
戦後ブルースター・バッファローに乗り換え、継続戦争中に34機のソ連機を撃墜
したとされます。
1943年に入り、ドイツ製のメッサーシュミットBf109Gが供給され、エリート部隊の
飛行第34戦隊が編成されると、ユーティライネンも転籍し、更に58機を撃墜。
最終的な総撃墜数は94機に達しました。
ユーティライネンが後に搭乗したBf109G-6 MT451号機との並び。
長きにわたった(約1年)、ブルースター・バッファローの製作。
最後まで応援頂いた皆様、ありがとうございました!!