2022.3.3今日はサンサンの日!鉄道編:DD54形ディーゼル機関車DD54-33号機 | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
今日はサンサンの日ということで、鉄道編は・・・
 
イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5
イメージ 2
 
京都鉄道博物館のDD54-33号機。

無煙化が進む昭和40年代、地方幹線では未だに蒸気機関車が就役しており、電化
されていない区間の無煙化についてはDF50形ディーゼル機関車が昭和30年代に
投入されていたものの、DF50はD51形蒸気機関車などに比べれば出力不足でした。
更に、1000馬力級エンジン2基を積み、液体式変速機を備えた国産の本線用
ディーゼル機関車DD51形の開発が済んでいましたが、山陰本線の福知山機関区・
米子機関区にはドイツ・マイバッハ製のディーゼルエンジン・変速機(ライセンス
生産)を搭載したDD54形が配置されます。
当初の予定通り、蒸気機関車の置き換え・無煙化を推進したDD54形は東京~
浜田間の寝台特急出雲の牽引機に充当され、この33号機を含む米子機関区の6両
が20系客車牽引対応改造とヘッドマーク取付金具が設けられました。
しかし、C54・EF54と同様の「54」という数字のジンクスからか、故障の頻発
に悩まされ、しかも心臓部分が海外からのライセンス生産品であることから抜本
的な解決に至らず、僅か10年足らずでDD51形に置き換えられるという悲運の
新型機として歴史に名を残すことになりました。
C54同様、福知山機関区に配備されたという経緯や、期待の新型機でありながら、
故障頻発に悩まされて早期淘汰されたという結末から、機番54は大成できない
、54ジンクスという都市伝説まで生まれました。
しかし、その一方でDF50やDD51といった車種に比べれば少ないものの、C54の
2.5倍が製造され、しかも明確な計画に基づいて福知山機関区・米子機関区に
集中配備されて当初は一定の評価を得た(C54は2~3両ずつ分散配置され、傑作
C51と共通比較の後、低い評価が定着した戦後に福知山機関区に集中配備)こと、
そして、最後に残った33号機が鉄道博物館に保存されたことはまだ幸運だったと
思います。