2022.4.24日本の名車歴史館訪問記①日野自動車:日野ルノー/日野コンテッサ | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
 
2022.4.24のお出かけ記事の続きです。
海の中道海浜公園にある日本の名車歴史館に行ってきました。
 
 
戦前の東京瓦斯電気興業を母体とする日野自動車は、航空エンジンの生産やトラック・バスの
車体架装、軍用車の製作を得意とするメーカーでした。
 
 
日野自動車は戦後、バスやトラックの開発に重点を置いていく一方で、フランスのルノー公団
から技術導入を図り、乗用車分野へ進出します。
日野がライセンス生産したのは100万台以上が売れたルノーのベストセラー、ルノー4CV
でした。元来の堅牢な設計に加え、日野が国内向けに足回りなどの改良を図った結果、
当時最大のカストマーだったタクシー業界で多用され、日産のダットサン台頭までタクシー
の代名詞となりました。
 
 
1961年、ルノー4CVのライセンス生産で得た経験を生かし、日野自動車初の自主開発
乗用車、日野コンテッサ900が登場します。
4CVのエンジンを参考に900ccまで拡大した直列4気筒エンジンをリアに搭載し、
4CV同様のRRとなっていました。
当初並行販売されていた4CVの市場を引き継ぎ、タクシー業界にも多数納入された他、
有名デザイナー、ミケロッティによるスペシャルボディ、「コンテッサ900スプリント」も開発
されましたが、こちらは生産化されることなく、現在はプロトタイプが日野オートプラザに
展示されています。
 
 
更に、1967年にはエンジンを1300ccに拡大した後継モデル、日野コンテッサ1300が
登場しました。エンジンは自社開発のOHVエンジン「GR100」となりました。
ボディは基本モデルである4ドアの他、美しいクーペモデルもラインナップされました。
しかし、当時の1000~1500cc級乗用車でRRだったのは日野以外にルノー、VW位で
あり、販売も次第に苦戦、日野とトヨタとの提携も影響して「コンテッサ(伯爵夫人の意)」
の8年に及ぶ歴史に終止符が打たれたのでした。