師匠からの頂き物(56)RMライブラリー山鹿温泉鉄道/西鉄バス西日本車体工業42MC | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
 

 
本日、師匠から届いたレターパック!
 

 
おっ!このバスコレは御来欧音が先日某オークションで競り負けた・・・
こちらは後日改めてご紹介しましょう。
 
 
そして、もう一冊。
師匠秘蔵の名著ではないですか!
RMライブラリー山鹿温泉鉄道。
 
 
山鹿温泉を擁し、江戸時代には豊前街道の宿場町として栄えた山鹿市。
 
 

現在の鹿児島本線が形成されると、鉄道ルートから外れる形となった山鹿地方を国鉄の

植木駅で結ぶ構想の下、建設が始まったのが鹿本鉄道、後の山鹿温泉鉄道です。

植木接続で建設が始まり、大正12年にはようやく山鹿温泉まで延伸しました。

しかし、競合するバスに押されるなど、その経営は厳しかったようで、最終的には昭和

28年・同32年の2度にわたる水害で大きな被害を受けました。

この際に熊本市・鹿児島本線との接続の要である植木~植木町間が大打撃を蒙って

復旧を断念。昭和35年に全線休止。その5年後に全線廃止となりました。

上写真は山鹿温泉鉄道の旧菊池川橋梁ですが、本来は旧鹿児島本線の筑後川橋梁

として架橋されていた物を短縮・移設したものです。

 

他にもサイクリングロードとして整備された線路跡に駅跡が残っています。

 

 

現在サイクリングロードの広場・休憩所・トイレなどが設置されている分田駅。

山鹿駅を出発し、肥後大道→肥後城石→来民→分田と、5駅目にあたり、国鉄鹿児島

本線と接続する植木駅とは14.7kmの距離にありました。

 
 

平島温泉駅。

当初は平島駅という名称だったそうですが、昭和24年に平島温泉駅に改称しています。

因みに、平島温泉は、現在の植木温泉の旧称だそうです。

 

 

民家の敷地になって残る肥後豊田駅のホーム跡。
 
 

鉄道廃止後も、貸切バス事業(鹿鉄バス)や自動車学校で生き残りを図ったものの、

残念ながら解散しています。

詳細は、わが師匠のブログをご参照ください・・・・。

 
 
以前頂戴した熊本電鉄と対で熊本県の鉄道史、郷土史を彩った山鹿温泉鉄道の
バイブルが当店に揃いました!