本日は、師匠と一緒にお出かけの約束を・・・・。
本来は、私が「現在の熊本バスの前身となった熊延鉄道の廃線跡を巡りたい!」と
提案したのがきっかけ。
しかし、山鹿で師匠と合流すると、どうしても師匠の地元、山鹿の山鹿温泉鉄道
(鹿本鉄道)の廃線跡が気になる・・・・。
山鹿温泉を擁し、江戸時代には豊前街道の宿場町として栄えた山鹿市。
現在の鹿児島本線が形成されると、鉄道ルートから外れる形となった山鹿地方を国鉄の
植木駅で結ぶ構想の下、建設が始まったのが鹿本鉄道、後の山鹿温泉鉄道です。
植木接続で建設が始まり、大正12年にはようやく山鹿温泉まで延伸しました。
しかし、競合するバスに押されるなど、その経営は厳しかったようで、最終的には昭和
28年・同32年の2度にわたる水害で大きな被害を受けました。
この際に熊本市・鹿児島本線との接続の要である植木~植木町間が大打撃を蒙って
復旧を断念。昭和35年に全線休止。その5年後に全線廃止となりました。
写真は山鹿温泉鉄道の旧菊池川橋梁ですが、本来は旧鹿児島本線の筑後川橋梁
として架橋されていた物を短縮・移設したものです。。
菊池川橋梁跡です。
現在はサイクリングロードの橋が架けられていますが、かつてここに上写真の菊池川
橋梁(トラス橋)が架けられていた場所です。
更に、師匠にご案内頂いたのが、現在サイクリングロードの広場・休憩所・トイレなどが
設置されている分田駅。
山鹿駅を出発し、肥後大道→肥後城石→来民→分田と、5駅目にあたり、国鉄鹿児島
本線と接続する植木駅とは14.7kmの距離にありました。
更に山鹿温泉鉄道の廃線跡巡礼を続けます。