母子で往く人吉球磨路(完)世界遺産「明治日本の産業革命遺産」三角西港:小泉八雲/大龍ラーメン | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)




宇土半島先端にある三角西港(旧三角港)は世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の
構成資産として知られています。

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熊本県権令として西南戦争にも参加した経験を持ち、熊本の復興を進めていた富岡敬明・
熊本県令は、オランダ人技師ローウェンホルスト・ムルデルの献策を容れて三角港整備
事業を推進しました。1884年より埠頭と周辺道路の整備が進められていき、1887年に
三角港(後に現在の三角港が整備された為、旧三角港・三角西港などと呼ばれます)開港。
明治の三大築港として知られる同港は、もともと成長著しい大牟田の三池炭鉱の
積出港として整備されたものでした。
1890年に始まった三角西港での石炭積み出し業務は、1901年に海外向けが終了し、その後
の三池港の開港もあって石炭の積み出しは減っていったものの、東京・大阪方面や鹿児島・
島原方面への八代海航路が順次整備されたことで米・セメントの積出港として昭和初期まで
繁栄しました。

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石積みの水路は山から来た雨と、市街地の雨水を排水する為の高度な設備でした。
国の重要文化財となっています。



復元された明治中頃の旅館・浦島屋。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も長崎からの帰路に宿泊したという由緒ある旅館でしたが、
後に解体されて中国の大連に移されたそうです。
1992年に復元され、現在はカフェとなっています。

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公園整備で造られたムルドル館。お土産屋さんです。



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大正7年に竣工し、現在は展示室になっている龍驤館。
明治天皇がお召艦・龍驤にて熊本視察の折、風雨を避けて三角に仮泊されたことから、
その遺徳を偲んで建てられたもの。かつての浦島屋のあった位置にあります。
教育会館・郡図書館としても用いられました。

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明治20年に完成した旧三角海運倉庫は現在ではレストランになっています。

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熊本県令・富岡敬明の像。ムルドル技師の言を容れ、三角港発展の基礎を築きました。

他にも、高田回漕店(廻船問屋)や、埠頭から続く高台の上に旧宇土郡役所や旧三角簡易裁判所がのこされていますが、今回はパスしました。




旅の最後は、ラーメンといえば久留米、久留米ラーメンといえば、大龍ラーメンということで、お腹いっぱいで帰宅しました・・・。


シーマ君もお疲れ様でした・・・。