本日は20Day!戦時中の産業用機関車統一政策で生まれたB20形蒸気機関車(京都鉄道博物館) | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
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昭和以降に入って作られた国鉄の蒸気機関車の名前を聞いて目に付くのは、
「C55」「C11」「D51」といった具合に、動軸3軸=C、動軸4軸=Dといった
区分です。でも、B20と聞いてD51よりも新しい機関車だとピンと来る人は
少ないのではないでしょうか?
戦争中、D51・D52といった大型貨物用機を大増産していた我国で、何故こんなに
小さな蒸気機関車を改めて開発したかというと、軍需工場等で使用される小型
機関車を規格統一し、限りある資源をより有効に活用し、機関車を効率的に
調達しようという戦時体制ならではの思惑がありました。
この為、実際の製作には国鉄郡山工場の他、大形蒸気機関車では余り名前が
出ない立山重工業が携わっています。
かくして、開発が始まったB20形(2軸の20トン機関車の意)ですが、実際には
ほとんどの落成が戦後となりましたが、予定通り構内作業・入換用に使用され
ました。
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しかし、超小型な戦時設計の本機は、他の大形機に比べて省略されている
機能も多く、単独での国鉄本線走行は出来ないなどの理由から、早期に多くの
仲間が廃車になりました。
多くの機関区では、入換用により大形の8620形・9600形等を使用しており、
出力不足もあったと思われます。
例外的に、小樽築港機関区のB20-1、鹿児島機関区のB20-10号機は長期に
わたって現役でした。当時の本でも「機関区のペット」という記述が見られ、
マスコット的存在だったことが伺えます。
その後、小樽築港機関区の1号機は北海道で保存され、鹿児島機関区の10号機は
昭和47年より梅小路蒸気機関車館にて保存され、現在でも京都鉄道博物館で
展示されています。