※所属部隊不詳のBf109G-14型
第二次世界大戦開戦時、メッサーシュミットBf109E型は世界最強クラスの戦闘機
でした。
ポーランド・デンマーク・ノルウェー・ベルギー・オランダの戦闘機隊を圧倒し、
イギリス空軍のホーカー・ハリケーンや、フランス空軍のモラーヌ・ソルニエMS406
でさえBf109には敵いませんでした。首尾よくパリを占領したドイツ軍は、英仏海峡
に空軍を展開してイギリス空軍とにらみ合います。
この頃、7.92mm機関銃4丁のBf109E-1、エリコン20mm機関砲2丁+7.92mm機関銃
2丁に強化したBf109E-3、風防を角ばった形にして生産性と視界を向上させた
Bf109E-4が登場していましたが、ダンケルクの戦いからイギリス空軍が本格的に
投入してきたスピットファイアは、速力で同等、運動性ではスピットファイアが、
上昇力ではBf109それぞれ優れるという好敵手でした。
1940年8月、ルフトバッフェ(ドイツ空軍)はドーバー海峡を越えてイギリス本土爆撃
(バトルオブブリテン)が開始されますが、Bf109は初めての惨敗を喫します。
①戦略上の失態
ドイツ総統ヒトラー自身が、「フランスを倒せばイギリスは休戦に応じる」と考えて
おり、準備が不十分だった上に、作戦目標も飛行場⇔工業地帯⇔首都ロンドンと、
成果が上がる前にコロコロ変えてしまい、戦果を拡大できなかった。
②ドイツ空軍の主力爆撃機ハインケルHe111には、後のB-29の様な高い防御力も、
高高度爆撃能力も無く、ポーランド・フランスで大活躍した急降下爆撃機ユンカース
Ju87スツーカもその低速・防御力の弱さを露呈して緒戦でギブアップし、ドイツ空軍
が長距離戦闘機として期待をかけたメッサーシュミットBf110双発戦闘機(駆逐機)
も、運動性の悪さ故にスピットファイア&ハリケーンの返り討ちに遭い、これらを
護衛するべきBf109Eは航続距離が不足気味(ロンドン上空での滞空時間は僅か
20分!)で完全に任務を果たせない、という機材面での準備不足、連携不足。
③Bf109E-4/E-7型に至って、燃料を75%も増やす増槽(使い捨て式落下タンク)
の装着が可能になったが、初期に燃料漏れが多発した為、現場で敬遠されて
しまい、②の燃料不足を招いたというBf109自体の問題。
④敵の本土を爆撃するということは、実は地上から直接侵攻するよりもずっと
リスクが高い方法であり、後年ドイツ本土爆撃を敢行した爆撃機アブロ・ランカスター
(英)は生産数の半分、B-17(米)はその3分の1を喪失している。しかし、それでも
爆撃を継続出来たのは、それを補いうる補充能力(機体と搭乗員)が必要だった
が、ドイツ空軍にはその体力がそもそも無かった。
翌1941年、イギリス本土上陸を諦めたドイツ空軍はソ連に侵攻。
Bf109は大半が新型のF型に更新されていました。
F型には、出力を高めたDB601E型エンジンが搭載されることになりました。
(実際には完成が遅れ、F-2型までは旧型のDB601N型エンジンを搭載)
Bf109F-1型は、エリコン20mm機関砲をプロペラ軸から発射(1丁)し、機首に7.92mm
機関銃2丁を装備。F-2型はエリコン20mm機関砲からより高初速のマウザー15mm
機関砲に換装していましたが、E-3/E-7型よりも武装が減った為にパイロットからの
批判も出ましたが、ベテランの間でも意見は分かれ、後に戦闘機隊総監に就任する
アドルフ・ガーランドは武装が弱くなったと批判する一方、ギュンター・ラル(275機
撃墜の史上№3のエース)は「何でもできる機体」と好意的でした。
間もなく、より威力の大きなマウザー20mm機関砲(我国の三式戦闘機 飛燕Ⅰ型丙
にも「マウザー砲」として搭載)に変えたF-4型も登場しますが、この頃がドイツ空軍も
Bf109にとっても絶頂期でした。
北アフリカでは、アレキサンドリアを目指してロンメル軍団が進撃し、その上空を
「アフリカの星」と呼ばれたハンス・ヨアヒム・マルセイユ(158機撃墜)が飛びました。
1941年のモスクワ攻略は失敗したものの、翌年にはスターリングラードと、カフカス
の油田地帯を攻略する「青作戦」が開始され、ヘルマン・グラーフ(212機撃墜)、
ヨハネス・シュタインホフ(178機撃墜)、ゲルハルト・バルクホルン(301機撃墜)、
ヴァルター・ノボトニー(258機撃墜)といった後の超エースが雲霞の如く現れる
ソビエト空軍と対峙しました。