あっという間に5月に入りましたね。今後もよろしくお願いします。
それでは、2年前のお出かけ記事の続きを・・・・。
世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された三井三池炭鉱の宮原坑
は、三池炭鉱の明治後期~大正期にかけての主力坑の一つです。
当初は官営で開発された三池炭鉱を払い下げられた三井組(後の三井鉱山)は、
技術官僚出身の団琢磨(後に三井鉱山会長から三井合名会社理事長、つまり
三井財閥の総帥になるも、金融恐慌に端を発した血盟団事件で射殺される)
を迎え、本格的な採掘に乗り出します。
福岡藩出身で、金子賢太郎と共に海外留学の経験も持つ団(マサチューセッツ
工科大卒!)は、鉱山技術、特に大型ポンプ等に精通しており、三池炭鉱の
抱える課題として排水処理の解決を重視し、周囲の反対を押し切って世界最大級
の英国製デビーポンプ4台を導入、万田坑や勝立抗にも同様の排水ポンプを導入
し、排水問題を解決します。
残念ながら、竪坑櫓や巻上機室の公開は時間切れでした。
この巻上機の建物は、当時のままの煉瓦です。
恐らく100年近く経過していますが、まだガッチリしていました。
現存する最古の全鋼製櫓である第二立坑櫓跡。
それまでは木製の櫓が主流であった中、この頃より鋼製になり、後には宮浦坑で
鉄筋コンクリート製の櫓が登場しました。最盛期には年間40~50万tもの石炭
を産出していた宮原坑ですが、昭和6年には採掘を中止しています。
かつての三池炭鉱の社宅。古い公団住宅の様にしか見えませんが、昭和30年ごろ
には水洗トイレ等を備えた当時最新のデラックスな社宅だったそうです。
当時はこの地域に20棟以上あったそうですが、現在はこの1棟が残るのみです。
これも、世界遺産に指定されている三池炭鉱専用鉄道敷。
社員の通勤にも利用され、炭鉱電車と呼ばれました。
ここを走った車両については、後日UPしたいと思います。