津和野城は、中世~戦国時代に石見国を支配した吉見氏が居城として築いた
山城です。
吉見氏は、蒙古襲来の際、鎌倉幕府から石見沿岸の警備を直々に命じられ、
能登から入城した名門でした。
戦国時代には西国の支配者、大内氏の傘下となり、大内義隆が家臣の陶晴賢
に討たれると、毛利元就と同盟を結んで陶氏討滅の一翼を担いました。
しかし、関ケ原の戦いで毛利氏が西軍の総大将となって敗れると、毛利氏に
従って吉見氏一族は長門国へ去りました。
その後、宇喜多秀家の従兄弟、坂崎直盛が津和野藩主として入城。
その坂崎直盛も、大阪城から救出した千姫(徳川秀忠の息女)を巡って徳川
幕府に抗うことになり、切腹を命じられました。
坂崎氏の後には、大内氏と中国地方を二分した尼子氏の重臣、亀井政矩が入城。
明治維新まで11代続きました。
中世の山城であった吉見氏の城塞を、坂崎直盛が大改修した津和野城は、
津和野の街を見下ろす天険の山頂にあります。
ここは素直にリフトに乗ります(笑)。
現在は石垣の補修が行われている津和野城。いきなり順路に現れた仮設の足場。
troutさんのような健脚ではない私には先が思いやられます( ;∀;)
工事で進入禁止になっていましたが、城の出丸であった織部丸跡。
こんな足下が険しい場所が何か所もありました。山城、侮るなかれです。
ようやく山城の登城道らしくなってきました。
石垣も見えてきました!
ここは大手門跡です。
こんな大きな木が石垣を突き破るように成長してしまっていました。
天守台跡。ここには三層の天守閣があったといいます。
馬立・台所跡。
こちらは西門櫓跡。こんな山上まで大きな石を運ぶのは大変だったでしょう。
天守台跡から無理矢理?三十間台と呼ばれた高台を目指します。
三十間台から望む津和野の街は絶景かな~!
一段下がった太鼓丸。ここから時を告げる太鼓の音が鳴り響いたことでしょう。
津和野城の美しい石垣は観ていて飽きません。
相変わらず足下は峻険ですが・・・(笑)
先ほどの三十間台の下を抜けて、三の丸へ向かいます。
南門櫓跡。
三の丸から見上げた石垣。津和野城で最も有名なアングルではないでしょうか?
再び、峻険な登城道を辿って往復1時間。
再びリフトで麓へ。
私は天空の城として有名な竹田城跡には行ったことがありませんが、少なく
とも、岡城址(大分県竹田市)にも匹敵する天空の城塞でありました。
この後、私は麓に遺る津和野城、津和野藩庁の遺構を巡ることにしました。