黒田節でお馴染み・・・母里太兵衛の子孫に会ってきた! | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
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黒田節で有名な母里太兵衛の子孫の方にお会いしてきました。

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博多駅前にも銅像が立つ母里太兵衛は黒田官兵衛・黒田長政の黒田二代に仕えた
猛将で、有名な黒田二十四騎の一人です。

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並々と注がれた盃を飲み干して福島正則から名槍・日本号をせしめた話は
余りにも有名ですが、関ケ原の合戦では人質となった主君の妻子を密かに救出
する等、豪快なだけでなく、非常に利発な人物であったことがうかがえます。
また、黒田家が福岡に入城して福岡黒田藩が成立すると、筑前鷹取城主、
益富城主を歴任し、桐山丹波と共に冷水峠の整備に尽力する等、テクノクラート
としても優秀な面を見せました。
嘉麻市の麟翁寺に太兵衛のお墓があります。

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福岡城址近くに移設された母里太兵衛屋敷の長屋門。
太兵衛直系の母里宗家は一時期消息消息不明になっていたそうですが、福岡市
中央区の安国寺が母里宗家の菩提寺となっているそうです。
私がお会いした母里さんは、母里一族の中でも、二代藩主・黒田忠之の弟・
黒田高政が立藩した東蓮寺藩(後の直方藩)に仕えた家系だそうで、後に
直方から芦屋に移ったそうです。直方藩は享保年間に後継者断絶で福岡藩に
吸収されているので、もしかするとその時かもしれませんね。

因みに、豊臣秀吉の朝鮮半島出兵も、島原の乱時の徳川幕府の島原鎮圧軍も
いずれも芦屋から出港したそうで、これは神功皇后の三韓征伐の故事に擬えて
縁起を担いだものだそうです。

他にも色々興味深いお話を伺いましたので、また記事にしたいと思います。