九州新幹線の開通でJR新鳥栖駅が開業し、鉄路の街としての名を一層
高める佐賀県鳥栖市。
そして、サッカーJリーグのサガン鳥栖の本拠地でもあります。
しかし、鳥栖にはもう一つ大きな宝が・・・。
それが戦国時代の武将・筑紫広門の本拠地だった勝尾城跡です。
地元では城山と呼ばれています。昨年まで鳥栖に住んでいた城好きの私は、一昨年に
夫婦で一度トライし、断念した後、翌年のGWに教育委員会のイベントで再度チャレンジ
しました。(この時は支城のみが対象でした。)
筑紫広門は、中世に九州を代表する大豪族だった少弐氏の一族と伝えられ、
筑前の盟友・秋月種実と共に大友・毛利・龍造寺といった大豪族の間を巧みに
生き抜きました。
九州決戦の最終段階で豊臣秀吉に味方して島津氏と戦い、戦後に
秀吉から上妻1万8千石を与えられますが、関ヶ原の戦いでは西軍に属した為、
所領を没収されてしまいます。しかし、晩年には息子が徳川幕府の旗本として
名誉を回復しており、悠々自適の生活を送ったようです。
広義の勝尾城は越前一乗谷のような城下町であり、本城・本丸である勝尾城(城山)を
中心に麓の館跡をはじめ、谷をぐるりと取り囲むように鬼ヶ城(おにがじょう)、高取城
(たかとりじょう)、葛籠城(つづらじょう)、鏡城(かがみじょう)、若山砦(わかやまとりで)
の5つの支城とされます。
この階段は館跡に建つ筑紫神社への階段であり、その先には本城へある勝尾城への
山道が続きます。
でも、こんな道が続くため、夫婦だけでの登城は無理と考え、この日は引き返しました。
(一昨年)
昨年のGWの一般案内日に、市の生涯学習課の方の案内で支城の方に
チャレンジ。これは高取城の空堀跡です。落葉と泥で埋まっていますが、
かつては数メートルの深さのV字型の防御施設でした。
葛籠城の郭(くるわ)の跡を形作る石垣の跡。上から飛び道具で寄せ手を射たのかな?
同じく葛籠城の空堀跡。勝尾城跡全体を囲む空堀(総構え)も残っており、
今後の発掘成果に期待が高まります。
葛籠城の主郭跡。因みにこの家紋は筑紫一族の紋で、少弐氏と同じです。
筑紫広門が島津氏と戦った際、豊臣家の大軍が南下するまでの時間を稼ぐ為、
広門はこの城に籠城、弟の晴門が敵将と一騎打ちで相討ちになるほどの
激しい戦いでしたが、支えきれず遂に落城(広門は島津の捕虜になるが、後に脱出)
し、中世以来の城郭と城下町は焼失してしまったそうです。