戦国武将・筑紫広門と肥前国・勝尾城跡(サガン鳥栖・鳥栖駅に優るとも劣らぬ鳥栖の宝) | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
九州新幹線の開通でJR新鳥栖駅が開業し、鉄路の街としての名を一層
高める佐賀県鳥栖市。
そして、サッカーJリーグのサガン鳥栖の本拠地でもあります。
しかし、鳥栖にはもう一つ大きな宝が・・・。
 
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それが戦国時代の武将・筑紫広門の本拠地だった勝尾城跡です。
地元では城山と呼ばれています。昨年まで鳥栖に住んでいた城好きの私は、一昨年に
夫婦で一度トライし、断念した後、翌年のGWに教育委員会のイベントで再度チャレンジ
しました。(この時は支城のみが対象でした。)
 
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筑紫広門は、中世に九州を代表する大豪族だった少弐氏の一族と伝えられ、
筑前の盟友・秋月種実と共に大友・毛利・龍造寺といった大豪族の間を巧みに
生き抜きました。
九州決戦の最終段階で豊臣秀吉に味方して島津氏と戦い、戦後に
秀吉から上妻1万8千石を与えられますが、関ヶ原の戦いでは西軍に属した為、
所領を没収されてしまいます。しかし、晩年には息子が徳川幕府の旗本として
名誉を回復しており、悠々自適の生活を送ったようです。
 
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広義の勝尾城は越前一乗谷のような城下町であり、本城・本丸である勝尾城(城山)を
中心に麓の館跡をはじめ、谷をぐるりと取り囲むように鬼ヶ城(おにがじょう)、高取城
(たかとりじょう)、葛籠城(つづらじょう)、鏡城(かがみじょう)、若山砦(わかやまとりで)
の5つの支城とされます。
この階段は館跡に建つ筑紫神社への階段であり、その先には本城へある勝尾城への
山道が続きます。
 
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でも、こんな道が続くため、夫婦だけでの登城は無理と考え、この日は引き返しました。
(一昨年)
 
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昨年のGWの一般案内日に、市の生涯学習課の方の案内で支城の方に
チャレンジ。これは高取城の空堀跡です。落葉と泥で埋まっていますが、
かつては数メートルの深さのV字型の防御施設でした。
 
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葛籠城の郭(くるわ)の跡を形作る石垣の跡。上から飛び道具で寄せ手を射たのかな?
 
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同じく葛籠城の空堀跡。勝尾城跡全体を囲む空堀(総構え)も残っており、
今後の発掘成果に期待が高まります。
 
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葛籠城の主郭跡。因みにこの家紋は筑紫一族の紋で、少弐氏と同じです。
筑紫広門が島津氏と戦った際、豊臣家の大軍が南下するまでの時間を稼ぐ為、
広門はこの城に籠城、弟の晴門が敵将と一騎打ちで相討ちになるほどの
激しい戦いでしたが、支えきれず遂に落城(広門は島津の捕虜になるが、後に脱出)
し、中世以来の城郭と城下町は焼失してしまったそうです。