My Story 4 | 「折り紙」でアメリカ全土を渡り歩く!2011年東北大震災募金の記録by長島昌志

My Story 4



やっぱり所詮は、檻の中の「サル」。


檻のルールに縛られて生活するのが「楽」だったし、


何よりも、1人飛び出したような行動をするのが怖かった。


たとえ、扉が開いているのを知っていたとしても・・・。











その後は、まさに「お祭り」だった。


毎日のように、飲み歩き。お祝いされた。


「見てたよ!すげーな!」「次はいつ?応援に行くよ!」


山に上がっても。


「あっ!この前見ました!すごいですね!応援してます!」


なんだろ・・・。


有頂天?自分が自分でないような。自分が「偉い人」になったような・・。










ちょーしに乗っていた。自分以上の自分を装った。











この頃、彼に会った人はみんな「良い印象」持ってないと思う。笑



そして、その頃は。



あまりスノーボードが好きではなくなっていた。



山に上がっても。失敗(コケたり)する所を見られたくなかった。



「若さ」を言い訳にして「今日はいいや。明日やろう。」



「まだ、そんなに焦らなくてもいいでしょ・・・。」



180度。540度変わった「情熱」。











人に注目されるのが怖かった。人に「評価」されるのがイヤだった。











いつの間にか、「バイト」を言い訳に、


「大会」からも遠ざかった。














ちょうどその時だった。



「*ディガー」の話で声をかけてもらったのは。




(*ゲレンデ内パークの整備、アイテムを管理するチーム。多くのプロはココを通過している。スノーボードを本気でやってる人には憧れの仕事だろう。僕はそうだった。)




ちょうど「外資系(オーストラリア)の企業」がゲレンデの1部を買収し、


オージーと反りが合わず、辞めてしまった「プロライダー」の代わりに。








そこでは、オーストラリアから来たパークチームが何人かいて「英語」を交えながら仕事をした。











「ディガー」。大好きな仕事!


仕事している感覚はなかった!


毎日、好きなスノーボードやって「お金」をもらえた!


こんな日が一生続いても良いな。と本気で思っていた!










ある日、向こうから来ていた「パークチーム」のリーダーに



「MS!オーストラリアに来ないか?向こうのパークチームに来いよ!」





迷う理由なんてないよ。笑






「好きな仕事」


「お金もらいながら、夏もスノーボードできる!」












迷いはない。


再び、「世界」に出た。24歳。









後にも先にも、彼が最初で最後のジャパニーズ。


オーストラリアの雪山(Mt,Hotham)のパークチームだった。


その後、彼のいた日本のスキー場。すぐに「香港系の企業」に売ってしまったから。


今、日本で働いているオーストラリア人のディガーは、いない。


恐らく、オーストラリアのパークチームのジャパニーズも、いない。












「若さ」は大きな武器。「怖さ」を知らないから。


初めて「怖さ」を知った時「変化」が訪れる。


彼女は「変化」の真っ最中。


それを「乗り越えた時」彼女は「無敵の女王」になる。





置かれている「立場」はまったく違うけれど。


僕は、とても人間的(普通の女の子)な「浅田真央選手」が好きです。


金メダルを取るためだけの「サイボーグ」になる必要はない。


アナタは十分「感動」を日本に届けていますよ。





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