My Story 5 | 「折り紙」でアメリカ全土を渡り歩く!2011年東北大震災募金の記録by長島昌志

My Story 5







思えば「ズルい」考えだった。



日本よりもスノーボードのレベルが低いオーストラリア。



そこで「大会」だったり、目立って「スポンサー」もらえたら。



「逆輸入ライダー」みたいになれるかな?って思ってた。



結果の出ない「日本」から逃げていただけかもしれない。


























日本で大会からは、遠ざかっていた「彼」だったが、



自分達で作った「チーム」での撮影は続けていた。



某雑誌の企画に応募してみたり、ショップに持っていってみたり。



評価はどこにいっても「あとちょっとなんだよなぁ~。」。














今ならわかるよ。「何」が足りなかったか。



















オーストラリアに着いてまずビックリしたのは。


$~ベンゾーさんと僕のCanada2人旅~   「英雄にあこがれて…。」




憧れの「Dragon」のスポンサー。





ライダー用のステッカーをもらい。大きなケースにキレイに並べられた、「ゴーグル」と「サングラス」。





「好きなの2つづつ持ってって良いよ!」





夢の様だった。











そして、オーストラリアの企業から



$~ベンゾーさんと僕のCanada2人旅~   「英雄にあこがれて…。」




「クイックシルバー」のウェアも、もらった。










「描いていた夢」が現実として、目の前にあった。

























そんな「夢のような現実」とは「裏腹」に。














「英語」には、さんざん苦しめられた。










以前1度海外には行っていたが、「日本語」しか話さない生活をしていたし。



「サーフィン大国」オーストラリア。限られた人間しかスノーボードしていない環境で。



その山(ゲレンゲ)にいるジャパニーズは、明らかに「1人」だった。



むしろ「アジア人」すら見なかった。
















パークチームのリーダー「アンディ」は優しくしてくれたが。


そのほかの人には、「他国なまりの英語」はほとんど通じなかった。


「英語」を話すのはイヤだった。


アンディに「飲みにいこうぜ!」と言われても、1人で「部屋」にこもってる方が楽だった。

















今でも覚えている。







彼の誕生日。誰にも言わなかった。


下手に「パーティ」されて一人で「英語」の中に飛び込むのがイヤだった。


一人でビールを買って、こっそり部屋で「タバコ」を吸った。


そんな「誕生日」だった。










特に「1人(ニュージーランド出身のヤツ)」には、相当馬鹿にされた。



ほとんど理解できない「英語」だったけど、それくらいなんとなくは解る。
















悔しかった。










でも、英語で何も言い返せなかった。













それでも「彼」には、「スノーボード」があった。



「滑り」だったら負けなかった。














唯一「言葉」がなくても「会話」ができた。







だから、「スノーボード」に関してはムキになっていた。













「絶対、負けたくない。」









滑る時はいつも思っていた。


時には「熱く」なりすぎることもあったし。


かなり「危ない滑り」をしていたと思う。



とにかく。













「スノーボード」だけが彼の「プライド」「意地」だった。















そんな中。


いつもの仕事中。




アンディ「みんなで、あそこまで競争しようぜ!よーい!ドン!」









よく英語が解っていなかった。









スタートが遅れた。











負けたくなかった。











必死に追いかけた。











普通に滑っていた「お客さん」をかわす。













「!」











目の前が「真っ白」になった。











進むべき方向に「道」がない。













もう止まれない。













落ちた。













約15Mほどの「崖」から下に落ちた。











「ドンッ!(ぐしゃ!)」











下に生えていた「木」に腹から引っかかった。









うずくまった。









動けなかった。













今まで「骨折」や「じん帯の損傷」は経験してきたが、明らかに違った。









腹全体を「雑巾しぼり」されているかのように、よじれて「引き裂かれる」様だった。









ただ真っ白な「白銀の世界」を「鮮血」で染める。







気分が悪くなって「吐き出したモノ」のは。









「ドロドロした真っ赤な血。」









何度も。









何度も。











止まらなかった。













赤と白のみ見える世界で頭をよぎった。


戦時中の日本が過ちを犯し、掲げた「日章旗」。


薄れゆく「意識」の中で・・・・。


何かが「間違っている」そう思った。










25歳。誕生日の翌日。











デビット・べッカム


サッカー大国イングランド代表のフィールドプレイヤーとして、歴代最多数「キャプテン」として国際試合に出場。


1998年ワールドカップ。決勝トーナメントで故意のファールを犯し「退場」したことで国民から痛烈に批判される。


2000年ワールドカップ予選。負けていたチームを「奇跡のフリーキック」で同点とし、ワールドカップ出場へと導いたことで、FIFA最優秀選手2位になり。批判から「英雄」へ。






「顔」だけじゃない「やることやってる男前」。


僕の「英雄(Hero)」の一人。





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