東洋─西洋のスパーク
8/22(日) 18:00開演(17:20開場)大ホール
細川俊夫(1955~ ):オペラ『二人静』~海から来た少女~(2017)*日本初演
原作(日本語):平田オリザ 能『二人静』による
(1幕1場/英語上演・日本語字幕付/演奏会形式)
グスタフ・マーラー(1860~1911)/コーティーズ 編曲:『大地の歌』
(声楽と室内オーケストラ用編曲)(1908~09/2006)**
ソプラノ:シェシュティン・アヴェモ*
能声楽:青木涼子*
メゾ・ソプラノ:藤村実穂子**
テノール:ベンヤミン・ブルンス**
指揮:マティアス・ピンチャー
アンサンブル・アンテルコンタンポラン
スペシャル・サポートメンバー
アンサンブルCMA
ヴァイオリン:小形 響/小川響子/木ノ村茉衣/高宮城 凌/戸澤采紀/戸原 直/東 亮汰/宮川奈々/山縣郁音
ヴィオラ:古賀郁音/森野 開/山本 周
チェロ:上村文乃/矢部優典 コントラバス:瀬 泰幸
ファゴット:中川日出鷹
トロンボーン:村田厚生
チューバ:橋本晋哉
欧州圏で現代を代表する作曲家の人で、EICの音楽監督を勤めるピンチャーが今年の8月のサントリーミュージックフェスティバルの主役。このフェスティバルを近年仕切るのは細川俊夫だが、能作品を基にした二人静と、マーラーの大地の歌が上演されました。海外オケの来日としては、昨年のウィーンフィル以来とのこと。ホント、このご時世で良く来日できました。
二人静の初演者たちによる上演、パリでの初演のほか、ドイツ、韓国などで上演を重ねてきて本日が日本初演。能声楽(はじめて認識)の青木を想定して作曲された作品で、義経と成した子を義経の兄である頼朝に殺された静御前が、そして弟を亡くした地中海の海岸に流れついた難民のヘレンに取り憑き、抗うことができない暴力による悲劇を重ね合わせ、私はどこから来て、そしてどこに行くのか、ということを問いを繰り返し、海辺の風の中に消え入るという内容の作品で平田オリザによる台本。細川の能・海という2大テーマを内包した作品。今回の演奏も大成功で、その立役者はソプラノのアヴェモ、静的な演技と強靭な張り詰めた声でホールを圧倒的な緊張感に包み込む姿は圧巻。そして青木の存在感の大きさが、流石青木の声を前提に書かれた作品だけに際立っていました。謡としては正直一寸弱い、というか男声に慣れ過ぎているのか、やや違和感があったのですが、静という女性を表現するにはこの方が良いのかと考えながらも聴いていました。そして、EICの演奏の達者なこと、冒頭の繊細な音で強烈なパンチを食らいました。大成功の上演でしたが、他のメンバーではおいそれと上演できない難しい作品となってしまった感はあります。
大地の歌は、原曲のフルオケ、ピアノ伴奏版ではなく、シェーンベルク・リーンの室内楽版かと思っていたのですが、コーティーズなる人の編曲による室内オケ版によるもの。上記室内楽版は多数の録音がありますが、別作品と言っても良いほど様々な楽器が足されたり、和声自体も手を加えられていますが、今回の室内オケ版は詳細不詳ながら、原曲の持ち味を最大限残した室内オケ版という印象のもの。トリスタンを上回るテノール殺しと言われる大地の歌、マーラー死後にワルターにより初演されたのですが、マーラー自身が初演していたならば、リハーサルで相当筆を入れて、オーケストレーションを刈り込むことを実施したと容易に想定される(過去の自作で頻繁に行ってきた)ので、ひょっとしたら今回の室内オケ版に近いものになていたのでは?と感じた次第。テノールのブルンスはバロックなども歌いますが、非常に輝かしい声で、この編成であれば十分聞こえてきましたし、表現も丁寧。この曲はニヒルかヒロイックかどちらで歌うか難しいですが、微妙に両方のテイストが入った見事な歌唱でした。過去の生で聴いた大地の歌のテノールではNo.1(勿論フルオケでは埋もれるでしょうが。。。)。そして大御所感も出てきた藤村実穂子、4月の都響での大地の歌がコロナで流れたので、今日はそのリベンジの意味もあるでしょう。今日はコンディションがあまり良くない様子で、錠剤(トローチ的なもの)を降り曲で口に含んだり、咳もありましたが、若干声量は抑制気味ながら、相変わらずの見事な歌唱。包容力のある歌ではないので、一寸真面目過ぎるか、と感じるところもありますが、理性的な歌唱としては文句なく素晴らしい。ピンチャーの指揮はオーソドックスで特異なものはありませんでしたが、EICメンバーのソロは流石と思わせるものがありました、では。