あけましておめでとうございます!
今年もよろしくおねがいします。皆さんどう正月をお過ごしでしょうか?
自分は大晦日・元旦は休みをもらい実家に帰郷しています。

そう言えば98年フランスWCでクロアチアのファンになった人はいったいどれだけいたのでしょうね?
実は、当時から今まで直接クロアチアのファンに出会った事ないんですよ。プロシネチキを知ってる人も少ないですね。今回はクロアチアとサッカーについて話していきます。ファン増えてくれないかな(笑)

プロシネチキはボールを引いてからシュートまでの動作が早くてそれが銃の撃鉄を引いてからの撃つまでに似ている事からバルカンの黄金銃と呼ばれていました。クロアチアは東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国なんです。そして1991年にユーゴスラビア連邦から独立し誕生した国なのです。

ユーゴと言えば東欧のブラジルと言われた程のテクニシャン揃いでWC8回出場の強豪でした。最も有名な選手と言えばピクシーこと現名古屋監督のドラガン・ストイコビッチ。日本でも有名ですから知っている人も多いかもしれませんね。ピクシーの名古屋グランパスリーグ初優勝は快挙でしたね!

ユーゴスラビア崩壊後、そんなピクシーは何人なの?って思うかもしれません。彼はセルビア人です。
セルビア、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、コソボからなる連合がユーゴスラビアでした。それは七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家(一人のチトー)と言われるほど超他民族国家。第二次世界大戦以降、イタリア・ドイツの支配からチトーと言う指導者により独立・成立してましたが、残念ながらチトー死後各地で内紛が始まってしまうのです。

今から約80年前ユーゴ連邦の前身ユーゴ王国の頃からセルビアとクロアチアは一緒で、クロアチアはセルビア独占の政治体制に不満がありその時からずっと抗争が続いていたので元々内紛の火種はあったのです。それをまとめていたチトーのカリスマ性が凄かった事を物語っています。それは多民族国家の縮図と言えるサッカーユーゴスラビア代表チームの監督も同じだと思います。
因みに、この歴史背景やユーゴ紛争、クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争等の内紛は、以前話た事もある自分の好きなゲームのタクティクスオウガのテーマの題材にもなっています。

チトーの死後は相当緊迫した情勢であったそうで、世界で民主主義に移行する国が増え、それに同調するかのようにユーゴ内の各共和国も民主主義を唱えだします。
全民主防衛と言い、ユーゴ国民は全て民兵として訓練されており各地域も各企業までも武装していて国の命令無くとも臨時の場合は戦闘できるような自主管理がなされていました。それも伴い、一度セルビアとクロアチアの間で大規模な独立暴動が起きた時は物凄い衝撃だっようです。その時クロアチアにいるセルビア人とセルビアにいるクロアチア人には計り知れない恐怖だったに違いありません。そしてついには皆ユーゴスラビアの存在を疑い始め内紛へと加速して行ってしまいます。
それは「共和国は祖国だがユーゴは祖国でないと」と代表選手の招聘自体が政治・武力の圧力により困難になり、サポーターもホームですらアウェーの他国を応援する程でした。そんなユーゴ代表最後の監督はなんとあの元日本代表監督のイビチャ・オシムです。

オシムも日本で有名でしたから知っている人も多いかと思います。ユーゴ崩壊までの末期の監督として
上記の環境の中やっていたわけですが、オシムは批判・オドシに屈せず時に声を張り上げて意見を主張し、強い心で外部からチームを守り、多民族の選手達をまとめ上げ、試合に勝つことを諦めなかった正に真のサッカー監督だと思います。チトーのようなカリスマ性を感じますね。プロシネチキもユーゴ代表選手でオシムを恩師と慕っているそうです。オシムの選手達は国は違っても今でも友情で結ばれているそうです。彼らは後に名を残す程の選手達ばかりですので後で紹介したいと思います。
それにしても極限の状況下でもチームが一つになるなんて凄い話でサッカーの素晴しい話の一つですな。

それでも残念な出来事もありました。1990年ディナモ・ザグレブ(クロアチア)VSレッドスター・ベオブラード(セルビア)戦でサポーター同士の小競り合いが始まり警察が止めに入る大事件に発展してしまいます。ディナモサポを警察が鎮圧して行きますが、ディナモサポとしては警察=国・政治=セルビアでありましたから反セルビアの感情剥き出しで対抗。ついにはクロアチアVSセルビアと言う、サッカーまでもが政治の代理戦争のような状態になってしまうんです。

この時ディナモのある選手は警察がディナモサポだけを鎮圧して行く様を見て、試合を忘れフェンスを飛び越え猛然と警察に立ち向って行きます。その選手はこの事件で国内・国外の試合9ヶ月の出場停止を受けますがこの行為に全く後悔はないと言いい、サッカー選手としてこのような事を語っています。
「サッカーは戦争だなどというヤツは、本当の戦争を知らないんだ。」
「私は100人の政治家に出来ない事が出来る。誰でも、代表で戦うのをやめたくはない。だからキャプテンである自分が先例になる。今のクロアチアには、若い力が必要なんだ。」と。
元ユーゴ代表の一人であり、18でディナモ・ザグレブのキャプテンを勤め、クロアチアの代表キャプテンとしても98年WCでクロアチアを3位へ導いた選手。それはズボニミール・ボバン。クロアチアの英雄と呼ばれた男です。

このカリスマは戦争で疲弊し絶望を味わった国民にサッカーで感動と勇気を与え、そして誇りまでもを取り戻させたのです。そのキャプテンシーは次代の代表を担う子供達にも夢と未来を与え、その背中を見て成長したのが現クロアチア代表選手達なのです。

ズボニミール・ボバンはACミランでも活躍し、因みに現日本代表監督のアルベルト・ザッケローニが監督していた時にスクデッドも取っています。そんな動画をどうぞ。

こちらは、プロシネチキのパスセンスが光る動画です。