VEフランクル, "夜と霧", みすず書房, 2002 | 目指せ!脱コミュ障

目指せ!脱コミュ障

思ったことや考えていることを、相手にわかりやすく、綺麗な言葉で伝える練習をしています




- ビスマルク「人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう。」

- ゴットホルト・エフライム・レッシング「特定の個とに直面しても分別を失わない者は、そもそも失うべき分別をもっていないのだ」

- 非収容者はほとんどまったくと言っていいほど、性的な夢をみなかった。他方、精神分析で言う「手の届かないものへのあがき」、つまり全身全霊をこめた愛への憧れその他の情動は、いやというほど夢に出てきた。

- 収容所に入れられ、[…]ただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされるこができるのだ。

- 愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり「本質(ゾーザイン)」に深くかかわっている

- [芸術に加えて]ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況にうちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。

- ラテン語の"finis"は、終わりと目的を意味する。暫定的なありようがいつ終わるか見通しのつかない人間は、目的をもって生きる/未来を見据えて存在することができないため、内面生活はその構造からがらりと様変わりし、精神の崩壊現象が始まる。

- 人は未来を見据えてはじめて、いうなれば永遠の相のもとにのみ存在しうる(sup specie aeternitatis)。自分の未来を信じることができなかった者は、未来と共に精神的な拠り所を失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していった。