3月1日、栃木県栃木市星野町の四季の森星野へ。
栃木市華蔵寺から車で10分足らずのところにあります。 三峰山麓の傾斜地に咲くセツブンソウ(節分草)の花を今年も見て来ました。 昨年は2022年3月4日。
地図
道路際に馴染の看板が立っていて、ここへ来ると明るさを感じます。
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駐車場から山裾へ。
写真2
木全体が黄色、ロウバイが満開です。 下から見上げると、ロウバイの花が降って来そうです~。
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ふっと足元を見ると、早々にセツブンソウを見つけました。
一年ぶり、元気そうです (^_-)-☆。
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見上げればロウバイがこれでもかと、乱れ咲いていました (^^♪。
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ロウバイの後ろは白梅です。
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遊歩道にはロープが張られて、山側の傾斜面にはセツブンソウの群生です。 以下の写真で傾斜がわかると思います。
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ゴロゴロした石の間からセツブンソウのは花を咲かせています。
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花数は少ないのですが、ロウバイの木がまた斜面にありました。
「ゆっくり見て行ってねー」と。
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成った実が、しっかりと枝について、頃合いを見て落下するのでしょう~。
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看板のあった所から、距離にして300メートルほどの間に、セツブンソウは花開いていました。 斜面をゆっくり折り返します。
同じ斜面に、フクジュソウも競演です。
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バレリーナになったセツブンソウたちもいました・・。
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遊歩道の途中に、芭蕉の句碑があります。
「紫陽草や帷巾時の薄浅黄」
これは松尾芭蕉と紫陽花の有名な俳句のようです。
<解説>最初は正反対の色合いの「帷子(洋服)」と「紫陽花」の色。 だんだんと夏になるにつれて近づいていって・・・そしてまた色は離れていく。 そんな季節の様子を俳句にした、と言われています。
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この後に、今年も、この一角に咲いていました。 キバナセツブンソウ(黄花節分草)です。南欧原産で、後から植えられ育ったものと思いますが、山中に黄色の花は鮮明に映ります・・。
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奥にフクジュソウ、手前にセツブンソウの花たちを撮ったもの・・。
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最後にきれいなポーズのセツブンソウを一枚・・。
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たくさん見ましたので、あきらめも尽きますが、別れるのは寂しくなります・・。
次に、5,000年前の家を訪問しに伺います。 車で2、3分ほど行った所にあります。
それは星野遺跡にある縄文時代の住居です。
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奥の住居(写真23):
縄文時代前期(約7,000~5,500年前)の床が長方形の竪穴式住居。壁の長さは、北壁6.2m、南壁5.9m、東壁5.3m、西壁4.7m。四隅に主柱をたて、桁を主柱にむすび、垂木で骨組みがつくられています。床面から土器が出土しました。
手前の住居(写真23):
縄文時代中期(約5,500~4,500年前)の住居で、直径3.6m、短径3.4mの楕円形の竪穴式住居。主柱6本に桁をむすび、垂木で円錐形の骨組みがつくられています。床面に、石囲みの炉があり、中に底をぬいた土器が埋め込まれていました。
写真23
屋根だけの住居に見えます。 ずっしりとした重たそうな住居で、わずかに入り口があります~。
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気になりますね、縄文時代・・。 ネットで少し調べてみました。
①縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に分類される。
②土器が使われるようになった時代だそうです。 気候は、暖かくて食料が豊富だった。
③原始農耕や水稲耕作が開始されていた。
④定住が始まり竪穴住居が使用され、縄文時代の注目の遺跡は三内丸山遺跡と大森貝塚。
帰り際、気になったのが火の元で、大切に保管したい遺跡です・・。
この日はあちこちセツブンソウめぐりです。
次はお隣、鹿沼市の御嶽山神社です。 引き続き投稿します・・。
訪問して頂きありがとうございました。