看護師をしていると、リストカットで病院に運ばれる患者さんと接触する機会があります。
その患者さんの中には、死ぬことが直接の目的ではなく、誰かに心配して欲しかったりリストカットをすることで注目して欲しかった、と話す患者さんもいました。
インターネットが普及し、自分のリストカットの傷跡の写真をネット上で簡単に投稿する若い方たちを見ながら、リストカットってどんな感覚でするのだろうといつも疑問に思っていたこともあり…
ぷっぷが自分を傷つけているのを見たときは、真っ先にそのことが頭に浮かんだのです。
当時私は自傷行為に対して、とてもマイナスイメージを持っていました
完璧主義者で、世の中の善悪を意識して生きてきたタイプだったこともあり、自傷行為そのものがどうしても受けいれられません。
その行為を知った時、私は何故そんなことをするのかとぷっぷに聞きました(問い詰めたという表現の方が近いかも
)
ぷっぷは、別に死にたいわけではない、と言い、感情が高ぶった時に自分を傷つけると落ち着くから、と答えました。
ぷっぷは人一倍痛みに敏感な子で、小さな頃から注射も大嫌い、傷に対しても臆病な一面を見せたりする子です。それなのになぜ自分で自分を傷つけるような行為をするのか。。
診察時に精神科の先生に聞いてみると
思春期の子どもの中には、自分の存在価値が見出せなくなり、自分を傷つけて痛みを感じることで生きていることを実感し、気持ちを落ち着かせているケースもあること、それがぷっぷに当てはまるのかはまだわからないのですが、というようなことを答えてくださりました。
それを聞いてまた頭の中がぐるぐる…
存在価値を見出せなくなる?
そういうのって、親の育て方に何か大きな問題がある場合じゃなくて?
私はこんなに子育てを頑張っていて、良き母親でいるよう努力したのに、なぜそんなふうになってしまったの?
何が悪かったの?
原因は私なの?ぷっぷ自身なの?
それとも家庭環境が悪い?
いやいや、こんなに過ごしやすい家庭環境なんてないんじゃない?
あれこれ言いたいのを我慢して理解がある母親としてそばにいたつもりなのに。。
定期的に繰り返される自傷行為を目の当たりにするたびに、私はその原因とどうやったらやめさせられるかということばかりを頭の中で巡らせました。
ぷっぷは
「またやっちゃってごめんね、、もうしないよ」
と口にするのですが、やっぱりまた繰り返します。
そのたびに私はなぜか裏切られたように感じて、ぷっぷを可哀想と思う気持ちと同時に、何度言ってもやめてくれないことへのイライラを感じるようになっていきました。
ぷっぷは薬のおかげで少し眠れるようになり幻聴や幻覚といった症状はなくなっていきましたが、物音には過敏なままで、飼っているワンコ
の口から出るクチャクチャという音にもひどく反応しました。
そして自分の苛立ちを、何もわからないワンコにぶつける場面もよくありました。
ワンコはビビってシュンとしてしまいます。
その光景を見ながら
なんで可愛いワンコにそんなことをするの⁉︎
というぷっぷに対する怒りと
逆に、実際物音に苦しんでいるぷっぷを見ているとワンコさえいなければ…と思ったり。
今思えば、そういう感情を自分の中でぐるぐると煮えたぎらせながら過ごしていたと思います。
ぷっぷに関する悩みは他の人にはなかなか言えず、仕事中は思い出さないように全力で働き、おそらく不自然なほどの笑顔でいたことでしょう

そうやって悩み続けているうちに、私の中では
とにかく自傷行為さえなくなればいい
という気持ちが中心になっていきました。
ぷっぷからすると、自傷行為は自分を保つために行なっていた『重要な行為』のようでした。
自分を見失いそうなほどのストレスや感情に苛まれた時に、そこから逃れるための唯一の手段だったのかもしれません。
日頃私たちがストレスを解消したり気分を落ち着かせるために、温泉に行ったり、たくさん買い物をしたり、カラオケしたり、ゲームをしたり、そういったことと大差のないことなのでしょう。
でも、当時はそう思えなかったのです。
ただただ、自傷行為をやめさせなければと考えてしまいました。
ぷっぷにとっては、自分が壊れないように保つための手段のひとつを母親に嫌悪の目で見られ執拗に止められる、という感覚だったのかもしれないと思うと、今でもいたたまれない気持ちになります
②へ続きます。。
