僕たちは、人間の味方ではなく、神の味方
ねえ。なんだいプリマベーラ。あなたの腕輪(うでわ)に閉じ込められている者たちは何?あ、これ。人間が作った映画の中の怪物やそれに類するものさ。何のために閉じ込めているの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以前僕と二人の護衛(プリマベーラとルクス光)が歩いていたとき僕の目の前に別の宇宙から来た骸骨のような風貌の化け物と出会ったことがある。奴は僕のことを知らなかったから、自分を神と思っていた節がある。奴は一撃で戦車をぶち抜く力を持っているようだ。あれじゃ、百獣の王のライオン、トラ、熊もひとたまりもないだろうな思った。ちょうどそこらあたりにライオンの群れがいた。だからライオンのボスに下がっていろと僕は命じた。なぜかって?それはもったいないからだ。ライオンは従った。その骸骨はサイキックを使い物を動かしたり、瞬間移動できるようだ。僕は二人(プリマベーラとルクス光)をその場に残しておき、その骸骨に言った。寒くねえのか?と。それを聞いた二人は大笑いした。それに腹を立てたのか、それは瞬間移動してプリマベーラの背後に移動した。ところが、プリマベーラーは奴の背後にすでにいた。ねえ、どうする?その骸骨はもう活動停止状態だった。つまり、すでに死んでいた。遊ぶか?と二人に僕が聞くと「ヤダ」と言われてしまった。じゃ、僕が遊ぶよ。こう言ってから、かれらの一族を瞬時に宇宙の奥から目の前に移動させた。100億の軍団を目の前に引き寄せてから、死骸を見せてやった。彼らが、一斉に僕に攻撃しようとしたとき、別の宇宙に丸ごと移動させ、僕の腕輪に閉じ込めた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・腕輪の中に閉じ込めた理由は、それは、僕が無敵であることの証明なんだ。映画なら誰かが作ったストーリーに僕が介入した時点で僕のストリーに変わってしまうので、もとにもどす時のためのバックアップデータとして奴らを捕獲して残している。たとえば、どんな異界の魔力も物理的な破壊力も僕には通用しない。初めから、何が起こり、どう終わるかはお見通しだから、僕にとってどんなに恐ろしいといわれる怪物も「指をパッチン」と鳴らすだけで終わっちゃうのでつまらないのさ。たとえば、映画で「何とかの呪い」とか幽霊とか魔物でも正体が分かってしまっているので面白くない。そうね。あなたなら7つの銀河を滅ぼせるし、中性子星の爆発の中やブラックホールのなかでわたしと一緒にダンスが出来るのだから、敵はいないわね。そうなんだ。だから、映画のストーリーを他の次元の惑星上で実現させ、あらゆる邪悪な者と戦う場合、僕は、スーパーマンを起用することにしている。映画のヒーローである彼はハンサムで、空想の産物だけど、僕の次元では現実になる。この世界には悪霊は本当にいる。が、人間が作った化け物などの空想がそこでは現実化する。映画の中のスーパーマンを僕は恐ろしい怪物の外見と心に変化させる。つまり、相手に対して容赦しないキャラを与え、事が済んだらすべてがなかったことにする。これは、ゲームだから。たとえば、人間には姿が見えない魔物もスーパーマンなら見えるだろう。吸血鬼がいくらスーパーマンの首にかみついたって、血を吸えるわけはないし、それはゾンビが襲って来ても同じこと。特筆すべきことは、彼らが勝てると勘違いしているすべての悪をそれをうわまる善の力が悪を成敗するとき、スーパーマンが邪悪な怪物に「宣言」することばだ。それと、スーパーマンの姿は変幻自在なのさ。それが彼らを恐れさせる。「自分のやったことに責任をもて!」と僕が語るんだけれど、スーパーマンも同じことを相手に言うわけさ。これが、彼らにとっては呪いの言葉となる。映画のように、あらかじめ犠牲になる役者たちは、ここでは人間に似せた人形さ。人形は普通に見れば、人間と同じ。でも、中身はただの空気。化け物たちは空気を相手に食らいついているわけだ。仏教でいう、「色即是空」(しきそくぜくう)の空(くう)といえる。これは正確には釈迦が教えた話じゃないことくらい知っている。仏教?僕は得意だよ。ギリシャ哲学、東洋哲学、オカルト、心霊?すべて勉強済み。そうさ、僕が知っているのは聖書だけじゃなかったのさ・・・。僕の用意した世界はなんと、滑稽で、ばかばかしい世界なんだろう。しかし、今日の話は、設定に基づいて構成されている。さて、話はこれくらいにして、プリマベーラ、一緒にコーヒーでも飲まないか?いいわね。少し休んだら、見に行こう。彼らの戦いを・・・。そうね。それはそうと、ねえ。スーパーマンが負けることはあるの?僕がそう望めばストーリーはそうなる。その場合、2億のスーパーマンが助けにやってくることになる。こうして、悪は完全に終わる・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すてき!わたしたち幸せすぎる。おいでプリマベーラ。はい。お祝いね!用意しておいたワイングラスを持って二人で腕を交差させてから僕は言った。そう、お祝いだ。カサブランカさん。君の瞳に乾杯!どこへでもあなたについて行くわ。本当よ。分かっているさ。僕たちは結婚しているんだから。天空には君が愛した僕たちの子どもたちがいる。彼らは銀河の輝く星々。わたし、プリマベーラが愛した銀河の星々、わたしたちの子どもたちね。そうさ。ねえ、今日の話は、聖書のたとえ話だったの?こういう話は、罪を罰する神の力と信じるならその人にはそうなると思う。細かいところは、気にせず、「悪は滅ぼされる運命にある。」それを悟ってもらうために語ったもの。でも、わからないだろうなあ・・・。そうね。Luxひかり、君も来てくれたんだ!こんにちは・・・。プリマベーラごめんね。わたし笑っちゃうわ。フフフ・・・。だって、面白すぎるから。あなたの王子さまのおはなし。実は、僕たちも笑っているんだよ。そうだよね、プリマベーラ?そうよ。今回の話は笑わずには読めないの。化け物が罪に擬人化されているの・・・。ときどき、僕たちはぶっとんでいるんだ。でも、これは事実なのさ。こういう話をするから、アメーバーの人たちは逃げていったのかしら?違うよ。atorie(アトリエ)の場合も同じだった。2024年の6月にクリスティーナたちが、去って行ったあと、○メーバーの人たちと○oteの人たちは消えたが、他のメンバーは残った。1年4カ月もたっているのに・・・。5つのグループの中に、いまだにatorieのブログを読んでくださって人たちがいるらしい。きっと、彼らは、神のみことばに従うことが命にかかわることを知っているのだと思う。だけど御霊のはなしは難しいね。特に罪からの実質的な解放の体験は・・・。イエスに対する信仰が神に義と認められていれば、神はイエスを復活させた力によってイエスを信じる者が罪を犯すことができなくすることができる。しかし、それは、イエスの弟子だけのようだ。これはatorieも気づかなかったようだ・・・。いわゆる教会「信者」ではなくイエスを主人とする弟子だけが、イエスに自由にされる。神は言われる、「あなたの背信があなたを滅ぼすことになることをあなたがたは知らない。」と。すぐに神からの罰が来ないから、人間は堕落した状態で聖化を待っているけど、聖化は堕落した人たちには来ない。答えは、このブログを読んでいる人なら、理屈で分かっている。でも、読むだけでは何の効き目もない。なぜか?なぜなら、信仰は理屈ではなく神の霊だから。そこで、使徒たちが以下のように手紙に書いたことは僕たちには理解できる。「世界の創造の前からイエスの血を振りかけられる目的で聖徒たちが選ばれていた。」という証。僕たちは神さまのものだ。だから、いつでも、どこにいても僕たちは、人間の味方ではなく、神の味方なのだ。ハレルヤ!そしてアーメン・・・。「ひかり」また来てね!来るわね、プリマベーラ・・・。