おはようございます🌞。
録音音楽、電気音楽。あんまりやりたくなかったけど、生演奏音楽がよかったけど。それでもなんとか音を楽しむことを地続きにやるなかで、やることにしていった若い頃。
最初に買い足した音楽ソフトはノイズクリア用のもの。
DTМではなかった。
そこからもう、DTМには専門譜分数拍子の感覚や数理が取り込めないか、取り込むには難しすぎて、脳内カウントして録音音楽をしていたほうがまだマシだという確信があったわけだ。
また、他者がサンプリングした音を自分の音として、音楽曲として使うことの罪悪感ゃないけど、違和感もあった。
自己表現なのに、なぜ自分の奏でた音じゃないもので曲をつくって、自分の曲だとしていいんだろう?と。
まあこれを言い始めると楽器をつくるところからやらなきゃいけない理屈にもなるため、普通なら見て見ぬふりするんだろう。でも私は欲しい音のためには楽器をつくるところからやる方向に行きたかったから、見て見ぬふりしなかった。
結局いまでも立派な自作生楽器は作れてはおらず、改造にとどまったが、電子楽器ならなんとかかんとか、自作楽器を作れたことになる。
また、分数拍子を使うことは、その楽曲の骨子を定義し、それに責任を持つことなので、それで、音楽生成AIを用いても、自作曲だと言える態度が私にはある。
専門譜分数拍子は、ただテキトーに数値を決めて好き勝手やっていいわけでなくて、身体性に基づく錬磨のある数理でなくては、音のように放射状にひろがる波に責任を持つなんてことは不可能で。だから私は毎回次々と新しい分数拍子を生み出して種類の多さを延々更新しつづける日々…なんてものは送っていない。身体性ある数値をいくらか用意したら、あとはそれらの組み合わせでやっている。
私が皆さんに呼びかけたいのは、そういった数値を皆さんも自分を…楽器を奏でようというその手始めの、短い時間のみにでいいから客観視をして生みだせば、一生使える固有リズムとしてどこにでも携帯できるし。過剰に、皆で一つになる、なんてことをやらなくても、干渉縞できちんと音楽が成立するので、個を保った上でそのセッションのさなかでは一つになれるので。それをぜひともやりましょうよ、と。
個を無視して一つになる、なろうとするのはファシズムだから。民主主義を形骸化させないためにも、それをやりましょうよ。と、言っているわけだ。
これを無視することは実質的にファシズムなので。ファシストはファシズムを批判されてイヤがるのはある意味当然なわけで。
当然イヤがるんだろうなというのはAI音楽に踏み込む前からわかっていたし、踏み込む前にブログにもそれを書いたし。ファシズムでいいんだ!なんてメッセージは受け入れられようもないわけで。
なにも、分数拍子以前に高校生が詰め込み教育されるような数式をあてはめてデジタルズビズビの数式音楽をやれと言っているんじゃなくて、自分の奏でる楽器音にくらい個としての責任を持ってくれと。神の音楽からすこし人間寄りの音楽は本来、数式音楽ではないものの、数理音楽ではあるよと言っているのであって。
わたしの数値を使え!それができないやつぁヤバイやつだから避けろ!というならファシズムだけど、私はそうは言っていないのでね。
感覚にしたがい、人気も博すと、まさか自分が表現に責任を持てといわれる側になるとは思わなかったゃろけど。
でも、過不足なく、私はそう言っているだけの話。
表現に責任持て、と。
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那向那向