デジタル機器が人類の生命力の足枷になるようじゃ本末転倒だものね。





1. **エレノア・アトキンソン (Eleanor Atkinson)** - デジタルプラットフォームにおける人権やプライバシーに関する研究を行っている専門家。
2. **スラヴォイ・ジジェク (Slavoj Žižek)** - 哲学者であり、現代社会の問題、特に権力やイデオロギーについて鋭い批評を行っています。
3. **ヤシュア・フレイザー (Yasha Mounk)** - 政治学者で、民主主義とポピュリズム、言論の自由についての研究をしている。
4. **エドワード・スノーデン (Edward Snowden)** - NSAの監視プログラムを告発し、プライバシーとデジタル自由についての議論を促進しました。
5. **ジョシュア・ランボス (Joshua Wong)** - 香港の民主化運動の活動家で、言論の自由や市民権について国際的に声を上げています。

また、以下の団体も言論の自由やテクノロジーの倫理に関する活動を行っています。

- **アムネスティ・インターナショナル (Amnesty International)** - 世界各国の人権問題を監視し、言論の自由を推進する国際的な団体。
- **ヒューマン・ライツ・ウォッチ (Human Rights Watch)** - 様々な国での人権侵害を報告し、改善を求める活動をしています。
- **電子フロンティア財団 (Electronic Frontier Foundation, EFF)** - インターネットの自由とプライバシーの権利を守る活動を行う団体。







なんだろな。


個々人が権利を持っている、という観点だと、自己主張の激しいやつなんかはそいつにとって自然な感情でギリギリを攻めたくなるのかもしれないから、個々人に対して他者は◯◯する権利を持たない、とか、そういう明晰な否定が必要になってくるかもしれない。



電子の世界ってのはあらゆる事柄に先ずはマイナスがつくのが標準仕様だと思っていて。とすると、電子的に個々人に迫る行為に関して、何に関しては権利があってよくて何に関しては権利を持たないとすべきなのか。そういう、細分化された消去法を用いて逆説的に…個々人の権利だとか、夫婦の権利だとか、子どもの権利だとか、家族の権利だとか、親戚の権利だとか…、客観的に権利を尊重する思想の大転換なんかが必要だし、やればできる可能性なんじゃないのかと。




主観的に権利の議論をすると公平な比較もなしに感情論が紛れ込んで結末が悲惨なものになることも少なくない。たぶん世の中の、感情を頭ごなしに否定するひとたちはそのときのことを言っているんゃろ。







🙂