一昨日かな。
 私の場合、ピストで生身は右に行こうとすることで、ピストと私としては左に行こうとすることができる、というのを発見した。これ、思い出すといまだに少し呆然とするくらい、衝撃的な気づきだった。
 たぶん何度も気づいた 技 ではあったんだ。だけどそれが断続した気づきだったから、まさか連続してつかう、基本技…あまりにも大事な基本中の基本の技だとは気づけなかった。

 まぁ、呆然自失はまた暇な時にやればいいので、さておき。


 その気づきからすぐ、じゃぁフリーハブ車のカッター改150 でもその生身の練習をするにはどうしたらいいの?というQに、ちゃんとAを出していたのである。

 重さ左右対称に改造しているカッター改150 に、左足首のウエイトリストバンドをつけて、左が重い状態にして走行すればよい。⇐ これだ。



 左が重ければ断続の多いフリーハブ車でも、基本的に右に行こうとする生身にならなければバランスがとれなくなるから、生身は右に行こうとすることを覚える。
 で、問題は自転車が走行する車線左というのは雨水処理の関係で左に傾いていることが多いため、重さ左右対称の車体に改造しているのであれば、そこにことさら左ウエイトリストバンドを追加する必要はないのではなかろうか、ということだ。

 逆にいうと、そんなカッター改150 でもアンダーパス走しまくったからこそ、私の場合ピストで生身は右に行くべき、という事実に気づけたのだろう。



 私にしては珍しく、過去の自分の功績を称える記憶の使い方である。





 私は他人にできないで自分にできることを自慢するように話すことで嫌われることは少なくないが、じつはその多くが自慢でないことばかりなのに気づける人はやはり少ない。だからこそ私はこうして今一人暮らしをしているのだ。
 私のしているこれの大概は、自慢ではなく、証明である。私という人畜無害、あるいは私の中の人畜無害に関して私が継続の努力を惜しんでいないことの証明である。他人の努力を買わない人から見れば、それだけ私の中の恐るべき狂気がふんだんに、尽きずにあるという証明になってしまうが、たぶん他人の努力をきちんと買える人から見れば、私ほど優しい人間は他にいないほどであろう。他人の努力をきちんと買えるひと、カモン。
 …と、それは一応話が逸れているとして。

 アンダーパス走で私とピストの関係についてしっかり自分の限界突破を果たしたからには、もっともっとその向きにいきたいわけだ。
 そう。私はそれに気づくまで競輪にとんと向いていなかった。文字通り向いていなかった。右に行くべき生身が左に行こうとしてばかりだったのだから、完璧に向いていなかったのだ。かろうじて自己を擁護すると、前は向いていたから、左右という意味では真逆だったが、一応競輪のアマチュア区分というところまでは来れていたということだ。でもやっぱり何かと向いていないと思い知らされることばかりだった。

 いまは、向いていると言える。

 私は、競輪選手に向いている。

 なにせピスト上で何処向きになればいいか、一番大事なその初歩の向きを、もうハッキリと分かっている。これはさすがにもう間違うことは無い。私はもう、向いているのだ。



 
 さて、どうだ。


 今夜もまたカッター改150 をそのままでアンダーパス走をするのか。
 今夜からは左足首などにウエイトリストバンドを着けてカッター改150 でアンダーパス走をするのか。



 左が重たい装備で自転車に乗るなんてのは、ここ最近、ナショナルチームがやり始めたばかりのことだ。言ってみれば最新先鋭な練習方法である。


 
 この練習方法で最も恐ろしいのは、公道において、生身が右に行きたがることの意味である。

 日本の公道は車両左側通行。

 生身が右に行きたがることは、言い換えると自動車に轢き殺されたがる向きであることを意味する。


 車両やウエイトリストバンドに改造を施して、重さ自体は左に行きたがったとしても、生身のほうが重たいわけで、その重たい生身が右に行きたな゙るというのはもう、それはそれは恐ろしい自殺願望を繰り返し繰り返し表現することになりはすまいか、いや、なるだろ、さすがに。




 私はその理屈をどうにか削いで、私は生き延びたいからこそ競輪選手になりたいからこそ、鍛錬をしたいのであり、決して自殺願望のあらわれではないんだ、という、なんらかのお守りを身に着けねばならない。



 これは大変難しい話になった。


 あきらかに隔離された床張りトラックでなら思い切りできることも、公道でとなると非常に胡散臭くなる。死の臭みが近寄ってくる。



 スマホの画面の光がきえて、私の顔が黒い画面に映った。

 二十代はじめの頃に、共演者の顔にみえて恐怖して叫び声をあげた、目に宇宙がやどっている黒い目の顔をした私がそこにいた。こんにちは、いや、こんばんは、か、おはようございます、か、死神様。私はもう44歳。さすがに恐怖の叫び声はあげませぬ。






 お守り。


 それはもしかして食べ物かもしれない。


 食べて、胃袋に重みがあれば、左に重さが寄るだろう。

 しかし消化してしまえば?



 では、それこそ宗像大社に交通安全のお守りを授かってみては?



 いや…たぶん、まだ私の呪力というか、霊力のほうが宗像大社のお守りよりも強いだろうから、無意味だろう。



 なんらかの…、なんらかの工夫を施さねばならないと感じる。でなければたぶん 私はあと8年以内に死ぬだろう。



 8年以内というのは、8年後に、ではないのだから、明日にも死ぬ恐れはある。



 思いつかねば。



 今すぐにでも思いつかねば。





日本 自転車 ブレーキ 左 で調べてみたら…。
 

❌️ AI概要 🔎:日本における自転車のブレーキは、左レバーがフロント、右レバーがリアというパターンが一般的です。ただし、逆にして乗る人もいます。


⭕️ バイクのニュース 🔎:2022/10/03 — 結論から言うと、日本国内では「右=前、左=後」が一般的であり、日本の国家規格のひとつであるJIS規格でも定められています。 
 



↑謎の食い違いが起きた。既に AI、こっそり人類に叛乱を起こしていないか???

AI は当てにしてはならない、というエビデンスがここに誕生した。



…話を戻すと、ブレーキが左前であれば、たとえ左重フリーハブ車で生身が右に行きたがっても、死亡事故の確率は減らせるかもしれないと考えた。





それでも確率を半分未満減らせるだけとみた。

人間の意志の力というものは強い。





もう、フリーハブ車で(日本では)右に行きたがってはならないということではなかろうか。ギア比均しのために乗り換えはするが、生身の練習として右に行きたがるところまではやらないようにする、と。






だめだ。

何を考えても死ぬ事故につながっているルートがみえる。





これはほんと、どうしたものか…。







ああ、わかった。






ここで、経験が役に立つのか。






左手首にウエイトリストバンドをつければよい。




フリーハブ車でこれをやると、生身が相当に硬くなることを私は知っている。

自由度が減り、機構と身体の断続が連続寄りになるのだ。

その状態でよく食べてスポーツギアで3時間かかるような長距離走をすると、相当に疲れて出向先でヘマをやらかすほどだが、アンダーパス走は決してそのような長距離走ではないから、大丈夫だ。


それ(疲労)よりも連続寄りになることで、膝の返しに期待できる確率が上がることが大事だ。それによって、意向と体勢の反比例をつくれて、死亡確率をぐっと減らせる。










というと、左前ブレーキにしたうえで、左手首にウエイトリストバンドを着ければ、死ぬ確率は最大限へらせるというわけである。






疲れた。上記は考えただけで疲れた。




いつのまにか、カッター改は左前ブレーキにしていなかったかな。




確認してみよう…。



🚲️




─────していた。



これに関しては流石私、と自分を褒められる。


持っていて、公道で乗れるスポーツ自転車4台のうち、2台が左前ブレーキ、2台が右前ブレーキになっている。カッター改150 は前者だった。なんかもう、流石過ぎる。




そして左手首にはせっかくなので、新しくそれ用のウエイトリストバンドを買うとしよう。重ければ重いほどいいかもしれないが、まぁ、外れにくく、不自然にならぬ程度の物がいい。

明日、厚みのある両面テープと一緒に…。







…。







🙂