那向玄人
酸素ルームで、寝転んでさえ踵がいつも浮いているのが気になって、足をぐいと伸ばしてみた、ら、背すじも伸びて頭を壁に強く打った。「痛ぃっ!」思わず声が出た。壁も床と同じクッションマットで覆われてはいるので、いちおう深刻なダメージは無いけれども。
そのときを境に、背すじが決して丸まらなくなった。
たとえるなら閉じたビニール袋のなかの1枚のクリアファイル。
前に曲がっているのを後ろに曲げるのは難しいが、一度後ろに曲げてしまえば今度は前に曲げるほうが難しくなる。
言ってみればクリアファイルには前後がないが、ヒトには前後があるので、この不可逆性は嬉しい。良い姿勢を保つのがラクになったということだ。
素人山という山があるなら、その峠を越えた心地がする。
わたしは何に関してもプロでありたいと焦り、イキって、ジタバタもがいてきた。八方美人どころの話ではない。とにかく2分にいちど轟音や恐怖に下敷きにされるあの低空飛行区を一刻も早く脱出せねばならなかった。ただ脱出するだけなら1つ2つ頑張れば良かっただろうが、其処に住む家族の、わたしのほかは誰も低空飛行区であることを自覚せず問題視せず、気分を害すれば目の前の家族のせいと考える…言ってみればアホぅだったので、アホぅに啓蒙活動するのと、アホぅが理不尽な暴力を妹に向けないようにするのと、アホぅが人身事故を起こさないようにするのとで、とんでもなく多種多様な才能が必要だった。私がときおり死神の自称をしたり、他称をされたりなんてのは、そういう人智をかるく超える多種多様な才能の必要性がある長期間を過ごしたからである。うまれもった永続的な才能といいたいわけではなく、うまれもった才能としてそういうものがなければこの家は殺人犯をつくってしまう、そういう切迫した事情であった。
低空飛行機飛ぶ限り、まだその懸念は完全には消えてはいないが、いまはもう幼子がそこで留守番せねばならんような家ではない。まだ昔に比べれば安心できる(あくまでも比較的な話だが)安全な力関係になった。
私は何のプロに成れるだろうと、ひそかに長い愉しみとしていたが、残念ながらわかりやすいプロには成れなかったかもしれない。
私の好きな劇作家詩人、寺山修司を踏まえてこう言おう。
私は水本樹人という職業の、プロに成った。
おはようございます🌞