那向


結婚しないの?は、急かす意味で、結婚するもしないも自由、は遅れさせる意味で。どっちも結局ハラスメントである疑いを持ちました。


人間て生き物でさ。
生き物って生きるためのことをしてなきゃ死ぬんですよ。
そして人間がほかのケモノと違うところは、生かすためのこともしてなきゃ因果応報とか自業自得の直撃とか、またそれらの巻き込まれによって死にかねないってところなんですよ。


結婚は生まれてから死ぬまでを俯瞰すれば、結局メリットが上回る行為で、だからこそ人類はそれをたくさんたくさん、数え切れないほど成立させてきたわけで。

人間ならではの善悪の廻りのなかで、結婚(出産も)は自分自身が生きるためにも、他者を生かすためにもやることで。その一挙両得のような行為に関して、するとしないとを五分五分のように語る、するもしないも(本人の)自由、ってのは、じつはしたいけど相手が乗り気でないってひとをも巻き込んで結婚させない遅延を云う意味になると思うんですよね。


しないひとが、するもしないも私の自由って云うのはまぁ、さすがにハラスメントも何も無いけど。

するひとにまで私の、ではなくて本人のって一般化して、それを他者に聞かせちゃうのはハラスメントじゃないかな。



私はときどき、人間は生き物だから〇〇の対語はこうなる、みたいな、ちょっとひねった思考回路を経ます。

自分の脳内…思考回路を左右対称だか黄金比だか、理路整然として割り切れて余りがない状態だかにスッキリさせたいがために、対語というものを辞書的に並べるのはすごく不味いと思っています。


     壁に耳あり障子に目あり。


事実左右対称でない物や体を扱うのに、スッキリしたいも何も無い。

ある程度は余りとか小数点以下とか、そういったものも認めつつ、不快にも寛容になりながら、生きていきたい、生かしていきたいもんです。







こんにちは🥔

🥔🥔🥔🥔🙂