那向醒案
元義父も、我が父もかな。よく口ずさんでいました。"意味不明"。
意味不明、で言い終えるとしたらそれは、"い締め" です。
い、ではじまり、い、で終わる、意趣返しの四字熟語です。その熟語は、まだ完熟ではなく、できたての早熟です。でもたとえ熟してもたぶん、そんなに美味しい果実ではありません。
私はその四字、ほんとうに使ったことがありません…
と、言おうとして、自身のブログに検索をかけてみました。
🔍️意味不明
すると、その四字、文中に使ったことはあるんですよ。そのほとんどが形容動詞として使っていました。
一度だけ複数形の客体に、一度だけ自分自身の計算ミスに使っていました。
つまり、私は意味不明という四字を、他者個人に対して使ったことがない、という意味です。
ブログでもそうですが、現実生活でもそうです。
私は他人の発言、説明、思想の主張に対して、意味不明、意味不明です、意味不明だ、意味不明〜♪、その手のはぐらかしやさらなる説明の '欲しがり' あるいは否定、話の打ち切りを他者個人にしたことはないのです。
難題を突きつけられ、意味不明ならば、意味明瞭になるまで考える。
だから意味不明ということばを、ほとんど形容動詞としてしか使ったことがないのです。そこです。そこなんです。そこが動くひとと、動かないひとの違いです。
意味不明、は強力なことばです、始まりと終わりに、い、を発声します、読ませます。
虐められていると感じたら、意味不明、と言い切れば虐め返せる、そういう魅惑のコトバです。
ただ、そのコトバをそのように動かないつかいかたでつかってしまうと、議論はそこで終わりです。
これだから地方は!とか言ったとします。
それは、日本の約三分の二を、地方、と括ってしまう感覚で、それでなにかしら決めつけの強い(しかもネガティブな)定義づけをしてしまうと、たとえ仮説や思い込みでも、なかなか強力な風評の流布になります。
で、それに反論してイチ個人として、地方、という括りかたは不味いぞ、と云うそれは、地方を背負っているひとの発言ととれば、約三分の二を背負うので、反論にしては強さがあります。しかしそれは強力な風評の流布への正当防衛的な反論であり、いじめではありません。正当防衛は攻撃と同数の威力でなくてはならない、というものではありません。正当防衛は最初の攻撃を少し以上上回り、その攻撃をもうされないくらいは反撃してよいはずのものです。そうでないと防衛を達成できませんから。そりゃ、裁判官にもよるでしょうが、同数でないことは確かです。
そしてまた、反論で言われたように、地方という言い方、まずかったな、と反省されるなら、反論は地方を背負ったほどの規模にならず、イチ個人が言い返してきたレベルになるのです。
東京内にも東京生まれ育ちの地方は存在している。
これを理解せずに、なぜ東京に対して地方と呼んではいけないのか!意味不明!となるのは、おそらく反論が、地方を背負っているのか、地方を背負っていないイチ個人によるものなのか、判別がつかないからでしょう。
それすなわち云うより先に、反省は絶対にしたくない!という結論があるからです。
あるんだから仕方ないじゃないですか。東京内にも地方はあるんです。東京という名前の地方はあるんです。
そこから目を逸らして、目を逸らしてしまったと反省をせず、 地方 を東京と分離してバカにしようとしてもどだい無理があるんです。そんな無理をすればそりゃ、意味不明!で議論が終わってしまいますよ。だってまず、無理を言いだしたひとが無理を反省せず八つ当たりのような質問をしたわけなんですから…。
ね、はてなさン。
こんばんは🌃
わたしは、はてなさンの
本名も顔も
未だ知らない。
名前は未だ無い…
猫ですか?
猫を、被っているんですか?