那向醒案如来







ネタバレ防止みたいに、

空白はあけときます。


他人の感想なんぞ

読まずに

自分で現地を訪ねて

自分の感想を持ちたいと

思う方は勿論、

読まないでください。





































































































正直、私の知覧特攻平和会館での感想はまあまぁ独特でして。


旅客機のない時代に飛ぶこと自体は誰もの憧れだったかと思います。何時間も汽車に揺られ(汽車の旅もまた一つの憧れでしたでしょう)本土の果てにたどり着き、さらに日本領域の果てへと飛び立てよという…。しかし命をもってその旅費を払わされる。ライト兄弟以前の飛行士たちが次々死んだ時代を思わされました。


憧れの体現と一寸先の闇の両方を命じられた若者の心理は、後の世のひとたちが幾つも拾うべき感情を有していたと思います。


家族の住む市町村的な地域としての国をおもうということ/イデオロギーとしての日本国を思うということ/先人の命がけで向上をみた技術を真似するときに最初の発案者に特にオカネを払ってきたわけではないという…一足飛び百足飛びの呪われて然るべき経緯/独身のまま子もなせぬまま死ぬ人生/当時の価値観に基づく家族の名誉のために逃げるに逃げられない現実/昔の伊勢参り以上の価値が汽車による移動の東京見物にあてられたということ/西洋かぶれの夢を持つ者もいたがその夢を叶えることは諦めさせられたという時代の気まぐれ/いまの価値観でいえば神と祀るならなぜそれぞれの出身地域で丁寧に祀らないのかという話…ほか。


特攻隊から受け取るものは決してひとつだけではないということ。



戦争でなくなったひとは軍人だけでは無かったが、国内で名誉を讃えられたり不名誉を責められたりするのは軍人だけというのも、後の世のひとたちはちゃんと考えなくてはならんと思っとります。


そのくせ外国からは今の日本人全員が目の敵にされる向きも、なかには有難がられる向きもありますからね。私たちはそのとき、いいや、どこどこの誰々のおかげなんだ/せいなんだ、とすぐほんとうの功労者や責任者を思い出せるかどうか。その視点も持ちながら、今の時代の寵児とされる人々を適切に評価できるかどうか。







旅客機のある時代になり、汽車は電車になり、たとえば人身事故による遅延に愚痴吐きや舌打ちをするよなひとも少なくないなか、日本人が特攻隊を境に何を得て何を失ったか、其の辺はいつだって反省してよいものだと思っとります。










おはようございます🌞