途中で耐えきれずみるのをやめてしまった。

なんつかもうそこでは?悪口が達者すぎて、せっかくその愛のない悪口言わずに我慢していれば愛が実って子どもできるだろに!っていうポイントがあっても、そういうポイントと気づけることもなく折り返して、折り返したことにも気づかず我道を真っ直ぐ進んでいるつもりになっている若者たち、多数。


ひとのみになる、ってことなんだよ、大事なのは。

頭がいいひとのみになって勉強頑張ってみたり、頭がわるいひとのみになって勉強さぼってみたり。

単純にこうやっていれば自分は安全圏しかし閉塞する、みたいなところは、 ひとのみになる を丁寧にやっていると、自然と飛び出していくものなんだが、もうほんと、安全圏から出たがらない様子がみてとれる。


子どもつくらないのは人として半端者、昔の人はそうレッテルを貼られることを恐れた…なんて言っているやつのをみて動画から離れたがね。それは、レッテルではない。道理としてフツーにほんとうのことなんだよ。



子供時代に育てられたり、たとえ喧嘩しても一緒に育つ仲間がいたり、そうやって大人になってきていまの自分たちがある。それは主観的には誰と比べようもない事実で、客観的になればそりゃあそこの家より貧乏とか、あそこの家には父ちゃん母ちゃん仲良しで両方いるとか、そういう比較もあるだろが、主観的に哲学的に、純文学的に、もっとしっかり絶対的にいうと、やはり生きてこれたのは 自分に子供時代があったから なんだよな。

子どもをつくらないというのは、その、自分に…誰もに子供時代があったことを否定しているんだよ。

それが何を意味するか。

それは大きく、人生のなかで、約17年くらいの存在意義を削るということ。

平均寿命を80歳としたら、17/80=0.2125 2割もの景気をあっ、というまに溶かす、削るということなんだ。


そして、人口がどんどん減るなかで、その2割の削りは、しばらくすれば過去になる今という現状からの比較で言えば、4割、6割の削りの、掛け算の項になってしまうということでもあるんだ。


かんたんにいうと、子どもをつくらないでいい、という態度は、この先自分たちの人生は、思ったよりも半分以下の幸せでいい、稼ぎだってひととのふれあいなどの実人生の旨味だって、半分以下で良いって、人生たかだか20年そこら生きたか生きないかの時点で諦めてしまうということなんだよ。



未来の幸せの確定を親としての責任みたいにいう者もいたが、んなもん、赤子はまず今日を生き延びるのからして必死なんだよ。幼くして突然死とか昔っからあることで、そういう脆い生命でもつづくように祈られたり具体的に助けられたりしていまの自分たちがあるのいうのに、そこを否定してしまうことは、祈った人たちや助けてくれたひとたちに報酬を払わない、お礼をしないことにもなる。

ようするに、過去につけ未来にわたり、とにかく不景気な諦めをやらかすということなんだ。

それで政府が稼ぎの5割も持っていくとか嘆く権利無いわけよ?

てめーで人生の発展の5割以上を諦めておいて、そのてめーの思想?を反映している政府には5割奪うなやって、めっちゃくちゃ矛盾してんだよ。わからねえのか???




せめて子どもいらないとかいうんなら、政府が稼ぎの5割以上持っていくことに愚痴愚痴言ってんじゃねえってこと!!

子どもつくれるよう必死に、せめて、いらないなんて言わないくらいの最低限の根性くらいは持たないでおいて、てめーで過去も未来も不景気にしておいて、悪政を責めるの、マジそれ、自分で自分を責めてんのと同じだからな!??



わかってくれよまじで。


皆、関係性のなか、生きてんだよ。


忘れても、そこには人生があったんだ。時間があったんだ。人々が生きていたんだ。ドライ&クールに装ったって、助け合ってきたんだよ。



泡をさらに泡にすること、これはそもそもは難しいことだ。景気も同じ。小さな好景気を大きな好景気にしていくのは、なかなか難しいことなんゃ。それを思いもしないで生命誕生ていう、ごくごく小さな小さな、しかし重要な始まりの泡をいらねーとか、そりゃもう、マジ諦めてるじゃねーかよ。そういうことにこそ言うんだよ。諦めんな!諦めてんじゃねえよ!って。


とにかく、頭のいいひとわるいひと、両方の身にもならないで、なんかわかったよーなことを言ってもしゃあないぜ。頭良くなれ!馬鹿になれ!もっと振れ幅もって生きやがれ!







こんばんは☹️