東京都はエンタメで一応の生活ができるひとの数は、ほかの道府県よりもはるかに多い。
これが大きな違いとしてあります。
もっと踏み込んで云いますと。
東京都民はポルノや不倫を文化視したがるが、ほかの道府県民はそれは消耗であり、生命に関わるということを体感で知っているので文化視したがらない。
こういう大きな、たいへん大きな違いがあります。
そしてまた情報の送受信量の割合や、密度。これもまた東京都とそのほかの道府県民とでは開きや偏りがあります。
私が7年のブランクをあけてこのブログを再開したのは実子誘拐がキッカケでした。しかし私はこれを、たまたま実子誘拐がキッカケだった、ととらえています。私はブランクに入る前に宣言していました。不条理なことがあればブログを再開する、と。
共同親権について客観的には、メインテーマのようにしてまではこのブログで語らないのは道府県民として暮らす私には、実子誘拐のほかにもさまざまな不条理が襲い来るであろうことがかなり容易に想像できたからです。思考が実現化するというなら考えたくもない未来、というわけですが、ほかにも不条理は降り掛かってきたおそれが幾らでもあったのです。実際、程度問題で別の不条理(肖像権侵害、車社会に基づく警察沙汰になっていないだけの多数の違法行為被害など)に同時進行で襲われていますし。
私からは、ほかの各地に支社を持ち当地に本社を持つ東京都民が、性に関する考え方をかなり根本に近いところから改めなければ、解決しづらい問題が多数見えているわけです。
たとえば、アダルトビデオでは、私(もしかして道府県民として、私達)の理想とする性的な価値観からいえば、あまりにも凄まじい人数の女性が犯されています。それにまつわり、多くの男女が消耗しています。そしてあまりにも人数が多いため、全員が全員、日本人として生まれ育った人間にはもう、完全に見えなくなったのです。
朝鮮系の人々が多数、日本人のテイでシュツエンして居ると思っています。
朝鮮系の人々にもお金持ちと貧乏人といて、それぞれできることできないことの違い、そのアイデンティティのアプローチの違いから、ポルノ肯定派と否定派が居るのでしょう。
私は性的に無駄な交わりや具体として漏洩をすることは消耗だと体感してきたので、ポルノは否定派のほうです。ないほうがいい。ないほうが皆幸せになれる。そう確信しています。
しかし、なんでしょうね…。
テレビや漫画や軽い小説などで描かれる世界は、人当たりが優しければ自分の預かり知らぬ裏で何をやっていても良い、という調子の…洗脳…というとまた避けられるでしょうけど、それに近い…影響。影響ですね。そういう影を視聴者たちに落としていると覚え、そういう人当たりの優しさを維持できないくらいなら、ときには風俗店にでも行って来い!みたいな逆振りした感性が、女性の側からすら、提案されてしまうこともあるわけです。
4人の子をもうけた私から見て、どう考えても日本の出生率の減退はポルノ肯定のせいなんですけども。あらゆる社会のユガミやヒズミはそこから来ているとしか見えないんですけども。こと、情報密度過多の都民にとっては、まったくそうは思えないなんて言えちゃうわけでしょう??
簡単に言いますとね。
都民はもっと、ポルノを規制乃至自主規制なさい。ということなんです。そして、それを言われた都民が、まるで掃除しなさいと女子に言われた男子があいつだって掃除してないやんあいつにも言えよなんでオレだけに言うんだよ、といってまた掃除をせずに遊ぶみたいな、そういう調子で、ほかの問題について指摘している、そんなふうに目を逸らしている、目を逸らさせている、時間稼ぎをしていると思うわけです。
もっといえば、ポルノで時間稼ぎをしているあいだに戦闘兵器や生物兵器をつくってそれを売っている、売ろうとしている、というふうにも見えるわけです。
そう見えてしまうともう、私にとっての実子誘拐被害など、そういった広大な目くらましの被害の、連鎖の連鎖の連鎖の端っこのようにも思えてきますし、そこに実際、私自身思い出したくない身内の裏切りという感情が重なれば、当然実子誘拐被害をメインテーマとしたブログなど書けないわけですよ。思い出したくもないんですから。
左翼も右翼もヨロシク三文芝居やっているようにしかみえんわけです。
それでどこかで言いました。
この自分のブログで、でしたかね。
ひまそらあかねは、ポルノを文化と言ったり、地方ということばをサゲの意味で東京を含まない意味で言っているのを改めなければ、今回の都知事選に負ける、と。
ポルノによる消耗にほんとうに困っていると感じている度合いが大きいのは、地方だからですよ。その道府県民のほうが圧倒的に多く、それを、都に移り住んでポルノを肯定した活動をしているひとたちですらも、内心は理解しているからですよ。なにせ消耗ですから。生存本能、生殖本能、両面の総合からかんがえて、感じて、消耗したくないという思いが、"海苔弁"の維持を選んだわけです。安くて高カロリーな、海苔弁の維持をね。(…脂質が多いんだけどね…海苔弁)
私は"海苔弁"で隠される側に胸を張れる活動ばかりであるならば情報開示はしなさいよ、と思うのでひまそらあかね氏を応援しはしましたが、まぁもともと都民ではないので一票も入れられず、県民の立場からしか応援はできませんで。しかし道府県民の多数派のひとりとしてリアルに感じる事柄からは表現するくらいは自由なので、そういうスタンスで応援しました。
もし情報開示のための、報告活動の追加で"海苔弁"で隠される側が郊外暮らしや、地方暮らしを余儀なくされるほど手間がかかるのであれば、それはそれでいいではないか、ほかのひとたちにもそのシゴトをシェアしてやればいいじゃないか、という意味でね。
実子誘拐被害にいたるまでは、庶民から裏の組織から表の組織まで、いろんなひとのいろんな間違いや軽微と思い込まれた違法行為が関係しており、私自身の自業自得も少しは含まれており、私からは宗教心から低空飛行苦まで、さまざまな私自身の体感から実践から、そりゃもう、これだけ膨大な文字数費やして語らなければ、ただ、サヨクのせい、ただ、ウヨクのせい、ただ、モトヨメのせい、ただポルノのせい、そのどれかに的を絞って解決できる問題とも思っていないわけです。たとえ共同親権が法制化されても、それを国民が知らんぷりするそれまでの価値観で生きてしまえば、焼け石に水をかけてほんの少し温度を下げるくらいの効果しかないと知っているからこそです。
例えるなら問題解決のためには…敵陣を突破し大将を討ち取るのに、歩兵騎馬兵弓兵のみならず、地形気候味方軍の士気向上、あらゆる場面で打ち勝たねばならんと思っとるというわけです。たぶんその感覚自体はどのひとももつ抽象的な感覚ではないでしょうか。
あらゆる場面で、たったひとりで打ち勝たねばならんとは思っていませんが、こと、性的な倫理の確立に関してだけは、たったひとりで打ち勝つべき話でしょう。
現実世界は、ネット情報で想像するよりも正論が通りにくいというより、それぞれの暮らす場所の特徴に根ざした正論が多数ある、ということです。
サーバーは東京だけにあるわけではありません。
東京で投稿されたものが福岡のサーバーで管理され、福岡で投稿されたものが東京のサーバーで管理されている確率はゼロではありません。
自分、というものがなんなのか。
芥川が自殺した頃とはもう随分変わったはずです。
太宰が自殺した頃とももう随分変わったはずです。
どんなに論じても実力行使されてしまえば後手にまわらされ、こちらの実力行使を待たれることにもなってしまいます。
インターネットで世界中に情報が散るのであれば。まずは個々の性的な倫理の確立を訴えるのが、もっとも手っ取り早いと思いますゆえ。
書くなら膨大に何でも書くし、書かないならまったく書かない。
私はそういうふうに、電子文と関わっています。
こんばんは🙂