人間は見た目より中身、ってのは、徳の話で。
ルッキズムってのは見た目が好ましければ便宜を計らうってやつで。背徳の話ではあるけど。
蓼食う虫も好き好き、で、人それぞれフェチをくすぐる好みがあるから、それらの最大公約数的なルッキズムのタイトルやナンバリングとしてアイドル(偶像)が芸能活動するぶんには、そんなに害はないとするのが、カメラやマイクなどの使い道ってやつ。メディアを通じて好印象をもったひとに対して、メディアを通じないで出会ったひとより烈しく贔屓するのはよろしくなくて。きちんと、出会ったひとを優先するのであればそしてその優先したひとびとが別段最大公約数的なルックスを有していなければ、ひとつのビジネス枠として有限にしてあげられるので、見た目を中身より大切にすることにはならない。
背徳の話はできるだけ否定したいならば見た目気にせず中身を積み上げるしかないけど。つまりカメラもマイクも使わずに人間関係を良好に構築していくべきだけど。
とりもなおさず、多様性はカメラやマイクをつかうつかわないも含めて多様性のはずなので。
決して、多様性とルッキズムは対極にあるわけじゃない。
ビジネス枠の内側でルッキズムを期待した有限の仕事をしているひとには、そうは思えないんだろうけども。
ルッキズムに偏ってしまえば人口減少につながるので、いま多数派はルッキズムを期待するひとたちなんだって理解はいいと思うけど。
それは別に、多様性よりルッキズムが優先されてよい、ということではないと、子孫繁栄を期待する私からは、ハッキリ言える。
まるで流行を、真理とか説得力ある理由みたいに…たとえば、世の中カネだろ、とかそういうふうに言ってしまうのは、生命体としての規模縮小とワンセットだってこと。
縮小してもそうしたければ流行にしたがえばいいだろうし、縮小したくなければ流行にさからってでも徳を積むことゃで。
おはようございます🙂