風呂に入りながら、ここにおいで、って書いたかな、ここへおいで、じゃなかったかなって思っていたのを、何時間も経って思い出して調べたらやはり、ここへおいで、だった。



一文字違うだけでも、やっぱりどうでもいいっておもってる証拠じゃん、とか思うかもしれんが、

じゃあ、その一文字の違いをこれだけ、十何時間以上にもわたって度々思い出して、あ、ちがったな、ってみとめるのって、逆にむちゃくちゃ気にしている*まったくどうでもいいなんて思っていないって意味になるんじゃないのかな。



果たし合いをする剣豪のように、たったの一言ふたことで決定的な情緒を見破った気にはなってみても、ぼくらは剣豪ではないし。



こんなふうにあとから気にしている長めの時間の情緒は、買い取るじゃないけど、好評価してくれないのかな??だとしたら、その差は何?

その差こそ、地方を道府県の意味でつかう差別心なんじゃないの??



と、まぁ、つっかかることもできるよん。





実際ボクは理性的にやってる。



非理性的なことをされるかもなんて怯えられる筋合いは無いんだ、ほんとは。










おはようございます🙂



趣味の、

スパイク短距離走に

行きたい。