今日は、いつもより2分前をねらって行動し、バイトの出だし1時間は血眼になって、"お人好し"にならないようにした。
挨拶を返されなくてもまあいいやまた挨拶したげるね、ではなくて。
挨拶を何度も返さなかったこのひとにはもう挨拶しない。
これを、まばたきもそこそこに、血眼でやった。
するとどうだ。
以前ならその、時間の搾取者に気を取られて見逃していたであろう機械の不調を3回以上もみつけることができ、1回など完璧に私をいつもの無能とみなしたくてたまらないループに入って私とほぼ同時、わずかに早く不調をみつけた搾取者が、「もう!」と牛になって修正を行うその横で、さらにもう一件機械が不調動作をしていたのを今度は私だけが見つけて私が修正したではないか。
つまり、ほんとうに、そういうことなのだ。
このひとは無能、一度貼ったレッテルを、何度でも噛み締めたいのだ、その搾取者は、自分が上であるという安堵感のために。
機械がその搾取者の不満そうな動作と同調して、私に失敗をなすりつけてくる。
挨拶をしないひとの、礼のない発言に気を取られ時間をとられしていると、さらなる機械の不調がわたしに2倍の責任を、寸での差でしかないはずのことを、2倍以上の責任にして、叱責を誘発するのである。
私は血眼になって"お人好し"を辞めることで、その決定的瞬間をまざまざとみたのである。
明日も、私に挨拶をしない、返さないひとは置いていく。
そうしてやっと、彼女たちの、この男は私達より明らかに無能、という間違った安堵感に付き合うことなく、わたしは冤罪を被せられずに仕事ができるのである。
ちなみに、挨拶をするひと、返す人は、大歓迎である。
わけへだてなくは辞めた。
わけへだてあるオレになる。
挨拶をしない女は、ブス!!
そのひとが生まれもったビジュアルとか関係ねー。
まず挨拶しない女はブスなんだよ!!
こんばんは🙂