つまり、低空飛行苦を過去と未来に伴った現在の私の、この肉体と精神は、〇〇したいかもしれない、とか、わたしはいま△△しそうだ、とか、そういう半端で刹那な神経を数珠繫ぎにしてでなければ思い通りに動くことすら叶わないのである。



そこに、他者からの変化の可能性とか、寄り添い身になった柔軟な考えとかが外れた、ただ過去の実績を未来もそうなのだという、ほとんど諦めの一瞥など。むけられると、なんならその通りにしてさしあげましょうか?とわたしは応じたくもない応じてはいけない動きを、それも半端に応じてしまうということがちょくちょくあるわけだ。




で、そこに、新しい平和拳法の必要性を感じたというわけだ。これだけ食生活も、つかう道具も変わったのに、いまだにふるい日本の生き方をつづけようとするひとたちの、日本刀一振り頼みみたいな特攻隊みたいな生き方を根本から改められる、新しい型の必要性を。





アニメ『怪獣8号』が12話で終わる。

そういえばアニメって、かならずしも最後まで丹念に続くものでは無かったな、と思い出した。


役に対する声優一覧の記事を読んだら、中村源太という名前がとてもおおくて、中村源太という名前だけ憶えることとなった。



遵法精神を持ってのバンク走行自力60km/h超えを、Production IGが祝ってくれたのだと、私は思うことにする。







三國連太郎さンが、「水本さん。人の話を聞いていては役者はやれませんよ」だっけか。ボクに直接言ったことがある。


この半端な刹那の思いがよくもわるくも蓄積、実現していく身にあって、だんだんその意味が、役者という意味だけでなく、プレイヤー、という意味で理解できるようになってきた。



プレイヤーは、人の話を聞いていては、右往左往するだけだ。


ルール理解もそこそこに、考えるより先に動くのがプレイヤーというものなのだろう。


ルール完全無視は犯罪者だが、ルール理解をそこそこにするのがプレイヤー。


ルールを完全に理解してしまうのは、ディレクターとかなんとか、非プレイヤーなんだろう。






のばし放題の髪の毛を切りたい…。




ころたん死神の髪型は、思えば、自分でカールしたり梳きバサミを使ったりしてつくった髪型だった。ただ単にのばし放題にした髪型ではない。他人につくってもらった髪型でもない。それもあって、肖像権を考慮されずに報酬もない現状が憤慨モノなのだ。






忘れたいと憶えたいとがさかさまに機能しつづける瞬間瞬間を生きているからだろう。わたしは、時の過ぎるのが早い、なんてことをほんとうに云わない人生を送っている。




なんとか、シームレスに、そのさかさまにさかさまをかけて、まともにできないだろうか。思い通りに生きられないものだろうか。






そんなとき他人は勝手に云うだろうか。


「そのままでいい/そのままのきみがこのましい/そのまますこしずつのどりょくをちくせきできるきみでいてほし…」


それを云おうとする他人にも、低空飛行苦を伴った人達はいるはずなんだ。




夏は脱力、冬は緊張。



夏でも涼しい格好をして寒いところにいたら緊張。


冬でも重ね着をして暖かいところにいたら脱力。



目覚めて、季節のつぎに思うべきは、現時点の寒暖。



寒暖に対して緊脱。





光ではなく、怒りが挿し込んでくる…。







遵法精神の無いお前らに怒る資格なんかねーよ。






たぶん、自分がどうしたいかよりも、私を好きな人が私にどうしてほしいと思っているかを手繰るほうが、よっぽど私は低空飛行苦を脱せるのだろう。




低空飛行苦は家制度を無視できるなら脱せるものだ。


家制度を同じく無視したい、やはり低空飛行苦をもちながらも家をとびたした女性に、私は好きになってもらえたら幸せなのかもしれない。



しかしその女性とのカップリングを、他者の多くに祝福してもらえなければ、幸せにはなりきれない。





寒暖緊脱。





44歳にして恒温動物として生き始められたということになる…。











おはようございます😐

 🙃