なにかというと本能だとか遺伝子だとかいうことばで理性を否定しにかかる者たちの多さに最早胸やけしている。


人類の進化は国王とか全人民とかが成してきたものではなく、間違いなく一夫一婦制を選択してきた夫婦たちによって執り行われたもの。一夫多妻制も多夫一妻制もその執行にぶらさがって存在してきただけの次点以下。


新しい命は希望に満ちているが、その希望は新しい命の持ち物である。新しい命を作った側はその希望を搾取してはならない。新しい命が作られればなにもかも許されていいというわけではない。


乱れた恋愛も地に落ちた結婚も、たとえそのカップルにおいて多子が実現していても、他者の不満や萎縮をうんで、少子化のもとになっている。毒や敵と闘う気力を社会から減らし、平均寿命まで縮めることになっている。

自由は結論を出すまでの選択の自由であって、出した結論は己を縛るようでなくては自由の意味もなくなり、それは只の混沌になる。自分をヨシとできたり、自らを理由とできたりするから自由なのであろうから、自分がなくなったり、他者を理由としたりすれば自由ではないのだ。

何をしようと私の勝手だろ、というのは自由ではなく、あんたの勝手な思考だ。あんたがあんたの勝手な思考で違法行為をやるくらいなら、わたしも勝手にあんたを罰するくらいの違法行為はやってもおかしくないよな?って話なんだよ。

すなわち違法行為が違法行為で返されないで済む状況でまかり通っても、他者から搾取しているジジツには他ならず、新しい命にとって他者というのは全員が可能性の担保なので、新しい命から搾取している意味になり、一夫一婦でない夫婦はその実子からも搾取している意味になる。




残念だが、上記のようなとても丁寧にわかりやすい言葉で綴ったはずの説明も、違法行為の興奮のまえにはなすすべがない場合も多々あろう。



そういうとき、わたしはその興奮を抑えきれなかった者たちを見下すほかない。法律にいたるまでの歴史と意志を理解しないメンタルドーテー、略してメンドーだな、と。









こんばんは🙂



重婚を実力行使で
やってるやつらは、

できるものなら
全員殺したいです。