ダイエット腹巻き Sサイズの上からコルセットを巻いている。


起きて動ける気がしない。



シルエットとしては腰のクビレがすごすぎる、かつてないナイスボディーになっているのは、昨夜装着時に確認済み。外してからそのままのシルエットでいられるわけはないが、服のゆるみが身体を大きくさせる向きに、服のしめつけが身体を小さくさせる向きに働くのは最早私には常識なので、腹巻きかコルセット、どちらかだけより効果が見込めるのは確かだと思う。





強力すぎる。

あなたをはなさない、としがみつく恋人だったらなんと可愛いことだろう??

自転車で走りたいときにそうされるのは、たぶん私はイヤだろう。配偶者ならいざしれず、恋人の場合は貞操義務は本来無いし。



若い頃、結婚をしているわけでも、ましてや結婚を前提にしているわけでもないのに一夫一婦制のような縛りを課すことを理解するのに、少し手間取った。

浮気は不倫とはかけ離れているとおもう。
不倫のほうが死罪すれすれの重みがあって、浮気はそんな重みは全く無いと考える。



不倫を死罪すれすれと考えない社会人は、他の社会人を無下にしている。公(おおやけ)というものを理解していない。

公というものを理解していないひとが、たとえ公衆の面前ではかくあるべき、みたいなことを喋っても、その頓珍漢さには反吐を出したい。




ただ、役所が公の代表みたいな感覚はもう、私の中からは消え失せた。例の流行り注射のせいで。




公の定義というか、実際的運用はいまや漂流している。


多くの人たちが、とりあえずの上下関係をほとんど疑いもせずに流用している。



今日は支払いものと…、郵便物の受け取りと。もしかして施設の祖母に会いに行く。片親の癇癪とコ口ナ騒ぎのせいで軒先10分の面会だそうだが。




私に、自転車で一緒にあまり苦にせず遠出できる恋人か配偶者ができたら、どんなに幸せだろうかなぁ。

電動アシストロードを使わせてさえ80kmでぶーたれるような女性だと、私の価値観に基づく生活にまったくついてこれないのだろうかな。



低空飛行区からいつでも好きに逃げ出せる走行能力としては、距離でいえば30km/日は欲しいぞ。実際に毎日逃げ出すかは別として。



せめてそれくらいは、すべての女性に可能になってもらわないと、私には、人類の半分が女じゃないかみたいな屁理屈による慰めは通用しない。







左足首にウエイトリストバンドを巻いて自転車に乗れる女性がいたら、気持ちが完全にそっちに向きそうな気がする。


それほど皆さん、個として正しさに敏感になることを怖がるってのを、ボクは20数年と見てきた。


たとえ正しくなくても、皆と同じなら安心して傷つくことができる、不安なく死ねる───まるでそう言いたげに。





個として正しさに敏感になることを嫌悪するようではこの世は、刑務所の外であっても刑務所の内のようなものだ。





踏み出すことへの恐れが的はずれなとき、禁固刑か懲役刑レベルの原罪になるというわけだ。





悪人たちは、その原罪意識を撞いてくるんだな。





フリーハブが、自転車操業、という諺のような言い回しをわかりにくくした。

私はフリーハブでも固定ギアのような乗り方を心がけてきたから、自転車操業、という言い回しの感性が体内に生きている。



ひとびとは、原罪意識と引き換えに手に入れた、盾を持っている。

都市部の者たちほど、その盾の内側で、新しい価値観とやらを実践している。


なかには、思いやりという、重い槍ではない、武器や攻撃ではないさしだしもあるというのに、早とちりしてそれらを盾で防いでしまう。




内なる衝動からの行く手を阻むものはすべて悪だと勘違いしている─────。幾つになっても思春期どまりなんだな。



たとえば分厚いコンクリート壁の向こうで交通事故が起きていたとして、コンクリ壁がなければあなたにもその事故車両が突撃してくるところだったとしたら。


壁はあなたの行く手を阻んだが、あなたの死傷をも阻んだのである。


行く手を阻むものが悪かどうかは、その阻むものの背中に何があるかによるだろう。



ただ行く手を阻んだことへの第一印象的な嫌悪感で阻んだものを悪だと決めてしまうのは、そのものの背中を、そのものの意図を勝手に決めつけて、そのものの行く手を阻む行為になるということを、解らなければならない。




相互理解は、そのようにして必要性をもつ。

阻まれてよいかわるいかは、そこまで考えて決める必要がある。






さぁ、どうするかな私は。



お米を炊きたいが、米を買えていないw。






蕎麦を、ゆがこうか────。








おはようございます🌞


梅雨じゃねえな、これ。