以下は、ちょっと小うるさい説教ではありますので、傷にさわるようでしたら今は詳しく読まないようになさってください。





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何度でも言います。ほとんどすべての自転車は左右非対称です。


けど、あまり瞬間毎に意識しなくても乗りこなせるのは、みなさん、もう潜在意識下でそれを修正するところまで体得しているからではあります。

ただ、それを修正するところまで体得しているからといって、それを制御できるところまで体得しているかというとそうではない確率は高く。

私が何度でも言うのは、やはり倍がけしてスピードを出す以上は、2倍のスピードなら2倍頭の回転を早くし、3倍のスピードなら3倍頭の回転を早くしないと、1人前の安全走行ができないからです。



体得した感覚では、潜在意識下で前+左に行こうとします。しかし自転車前輪が縦溝にはまると、相対的に自転車は右に行こうとします。何倍のスピードのなか、そこに深刻な齟齬が生じ、瞬間毎に意識していなければその齟齬を合致に制御することができず、横転の危険や事故につながります。



私が車道から歩道に乗り上げる際は、事前偏重と事中抜重によって段差に応じた前輪の持ち上げを行います。ジャンプ、ですね。前輪が超えてしまえば後輪はついてきやすいですが、後輪も一応、前輪の三分の一ほどのジャンプをするつもりで体重移動を行います。これがあって、実用走行は立ちこぎが基本になりやすいのです。


このときに必須なのがスピードに応じた頭の回転の早さと、自転車ではなく自身の行く向きが正しいのだという方向性の主導権を握るための腰の強さです。ここに私は 馬歩 を提唱するわけです。鍛錬で腰に馬歩を仕込んでいれば、自転車が 20cm違う向きに行こうとしても、たとえ身体が宙空に浮いていても、足腰からそれを正せます。



この馬歩をもたぬ選手が、だいたい落車を繰り返します。鍛錬量がどれほどであるべきかはこれからまだ人類に知られるべき未研究分野だと思いますが、ゼロとイチとではやはり差があります。





とはいえ、わたしも、堤防で落雷を恐れて低姿勢ミドルスピードを出して、街に入り、事なきを得たかという安堵の瞬間に、道路(車道左側)に謎の2メートル級の金属縦溝があるという悲惨をもって、転倒事故にあったことがあります。そのときは右側に倒れたらクルマに轢かれる!!と必死で左に転がりました。



とにかく自転車はじゃじゃ馬なところがあります。左右の重さを揃えても駆動機構が左右非対称なのは変わらないので、そういったことも関わります。





気象条件や他車、他者のほか、路面にはさまざまな傾斜や凸凹があります。

それらを完全にすべて目で拾ってハイスピードというのは、極論、人間には不可能な話です。自転車で急ぐならやらねばならんことですが。





大人は車道走行が基本とされていますが、自転車でも生き残れる車道走行徹底は相当難易度が高いですので、おとなの皆さんの歩道通行を私はかんたんには否定しません。


ただ、歩道通行は徐行必須という別の基本も、どうぞ歩行者や別の自転車、出会い頭にあわされる交差点右側の自動車の運転手のためにも心得てください。



見えないそこには、だれかいるはずだという構えと、見えないそこにはだれもいないはずだという構えでは事故の確率があきらかに変わるでしょう。


わたしは、かもしれない運転、だろう運転などという、語尾で心がけの差異を語るのでは遅いと思っています。


居るはず運転、居ないだろう運転。これです。

居る!と思ってほしいんですよ、スピードを出す者には。居るのに、居ない!と思わないでほしいんです。

たとえ居る!と思って空振りでも、いいじゃないですか。居た!のを轢いてしまうよりは!





こんにちは☀🙂




車内が熱い季節になりました。








 つけくわえまして、法律的には自転車の落車も自分で自身を傷つけた事故として、警察署に行くべきとされていますが、転けた現場の管轄の警察署に行かねばならないそうで、これも傷に障るなら矛盾した、無理な話になってきます。