弥勒ったら馬の手綱の意のはずですが、

牽引のうち牽は牛の引き綱の意だそうで?

馬は乗って命令を伝えるけれど、牛は乗らずに横を歩きますよね。

気まぐれに立ち止まった牛の、引き綱を引いて歩かせようとした、昔の人のすがたが目に浮かびます。




ずっと引き足、という、引、という字をあてているのが常識でしたが、こちらは弓をひく意だそうで。

じつは自転車のペダリングでいうなら、つけくわえていうなら左右非対称であることを心得た責任ある乗り手の感性や慣性でいうなら、じつは、牽、の字のほうが地に足ついて、使い良いように思います。



引き足あらため、牽き足、です。




せっかく足を止めても進むフリーハブ車でいえばペダルは強く踏んでなんぼですけれど、空回りしないフィクスド車は、ペダルはきれいに撫でるように踏まねばなりません。強く踏んでなんぼではないということです。強く踏むにしてもきれいに踏まねばなりません。


特に競技用ピストとなると足をペダルにガッチリ固定しますので、引き足も重要となりますが、どうにも私には 引き足 という、まるで踏み足と対極に位置するかのような呼び名が馴染まない。


しかしコーナリング馬歩を経て 引き足 の有効さを初めて実感し、スピードを高めるためあの感覚をもっと使いこなせるようになれなくてはならんのではなかろうかという…ちょっと読みづらいかなw…もう一回言いましょうかw。

あの感覚をもっと使いこなせるようになれなくてはならんのではなかろうかwという、そういう気持ちにもなりました。


それで最初は、バンク走行のその実感をそのままに、足の甲からズルムケ、という名前にしようかと思ったのですが、下品なもので、いまいち。


それでもその感覚を…とスーパーでその感覚に似た感覚で歩けたとき、ああ、これは牽き際なんだな、と思いましたね。引き際ではなく、牽き際。




競技用ピストで走行するというのは、基本的に常に牽き際なんですね。そこに、爽明ペダルの踏みと引きとを瞬き、合わせていく。𧾷と𤴔とをね。


これならなめらかで力強いペダリングができるかなと思いましたよ。


抜重ですね。別の言い方をすれば。



抜重を基本にして足先のガチガチ力みをなくし、ほんとうに必要な瞬間にのみ力むべし。


抜重=牽き際



人生、退くには引き際が大事。

人生、固定ギアで進むには牽き際が大事。



三十年以上、フリーハブ車でもほとんど足を止めたことのない私は、引き際を知らない。


牽き際なら今知った。











こんばんは☔🙃。