こんばんは。







教育によって洗脳された。



嫌なことをさせられるようになった。



いまわたしたちはズレていて、



そのズレを正すには好きなことだけをするしかない────。






↑こういう論調、わたしは賛同しません。



そもそも学問ったら、そのときどきの精一杯であります。由緒正しい疑われ方のない学問分野があれば、いやはや実は違ったゴメンネこれがほんとの正解!なんてやる由緒正しくない疑われまくるべき分野もある。



もともとビシッ!とした正解ではないんです。


包括的に、応用効かせながら基本に立ち戻りながら、このくらいかな?という正解を出していくものなんです。



一応教師ってのは、1対多数で授業をせねばならん不利からいって、正解不正解をときに不条理な理由でふりわけ、◯☓つけますよ。けれども、それを洗脳よばわりするのも、支配よばわりするのもちょっと違っている。それもズレている。そもそもぜんぶズレているなかで、真実らしきものをそれぞれが掬い取っていかねばならんのは生まれてから死ぬまでずっと誰だってそうなのに、ズレの原因を権威や枠組みにばかりみるのは不正確だ。




ボクは、自転車が右に傾くモノなのに車道左側を走れと言われることは大きなズレだと思っている。


でもこれは自転車が右が重たくて右に傾くモノだという認識までは正解で、その認識すらないひとたちは、右に傾く自転車をまっすぐ走るものだとズレて認識して乗ることをずっとやっている。


たとえば自転車ひとつでも、あなたは相当なズレを背負い込むことになるのである。



ほかにもある。



最近、右脳意識左脳意識というものすごく画期的な見切りができたボクだが、この見切りがないならひとは、自分が右脳意識のニンゲンなのか左脳意識のニンゲンなのか、他者はどちらなのか、まったく考えることもなく、あのひとは性格がどうだとか、あのひとは運動神経が良いとか、あのひとは勉強ができるとかお互いに差別化をするでしょう。ほんとうは意識の仕方でどちらにもなれるはずなのに、他者の可能性を否定しては、キャラの安定なんてものでホッとする…。



それもズレなんだ。




あなたが好きだとおもう感情、あなたがイヤだとおもう感情、どちらもおおいにズレているおそれも可能性もあるんだ。





自身の胸の左に心臓があるのか真ん中にあるのかまさか右にあるのかも特に考えずに、いま右脳をつかっているのか左脳をつかっているのか、とくに自覚せずに、それでできれば固定化したイメージのなか、何度でも繰り返すならば犯罪すら社会における安定のいち部品と見なすだろう?それもまったく、ズレなんだ。






ネジは斜めに進んだり戻ったりする。


でも蓋には矢印が斜めではなく、

←CLOSE OPEN→ みたいに、

水平に回すよう描いてある。


すなおに水平にねじると、瓶の蓋が開かない。


当然なんだ。ネジの立体、ネジのレールは斜めに切ってあるのに。水平に力をかけてもうまくいかないことがあっても当たり前なんだ。




それもズレだよ。





そんなネジ、生活の中にいったい何万本あるだろう。



数え切れないほどあちこちにある。



みんなそれを、斜めであるとも考えずに、縦横奥行きの直角直角直角の軸だと考える…それすらも考えないかもしれない、当たり前だと思い込みすぎていて。



それももう、数え切れないほどのズレなんだよ。







つまり、ヨノナカにズレは当然の顔してどれだけでも存在しているということ。


政治や教育やにも、それらのズレがおおいに影響して全くおかしくないんだよ?




すべてはズレていて、なんとか、なんとか身を捩らせながらときに楽勝、ときに必死に行きたい方向へ行くしかない。好き嫌いを言っている場合ではないことがほとんどなんだ。




そりゃあね。



たとえば歩行者が自動車道で許可も取らず踊りまくっていたとしたら、みな、できるだけ轢き殺したくないから自動車を避けさせたり、止まったりするよね?



好きなことだけやって、どんなに悪い迷惑かけても、踊り狂うその歩行者と同じで、まわりがその好きなことをやっているひとを否定せずに最大限尊重してくれるかもしれない。疲弊するほど気を使ってな?



けど、当然そんなことは長くは続かない。破綻は待っているし、無理矢理つづけようとしたら奴隷が何人いても足りないって、傲慢なコーマンになっちゃう。←これが下ネタに読めたらさすがにそれは高慢という漢字を知らぬ馬鹿でしょう。傲慢なコーマンは、他の人をいくらでも破綻させる。世界中のほとんどが不幸になる。



好きなことも、嫌いなことも、どちらだって取り組めなくちゃいけない。



洗脳だ洗脳だなんていえば洗脳が解けるわけじゃない。



難しく面倒な話にも何があるのかしっかり理解しようとしなくちゃ、洗脳なんて解けない。また、解けたところで別の洗脳が寄ってくる。生きている限り、洗脳はしたりされたり、ずっとそれが続いていく。そういうときに言ってくれよ、人間だもの、って。失敗したときにだけ言うなよ。成功するときにも言えよ。ときには失敗して落ち込むこともある、人間だもの/努力したらその果てに成功した…人間だもの!…って。




あらかじめ言いましょ。


♪手のひらを太陽に、の替歌です↓↓↓。





ぼくらはみんな ズレている


ズレているから 生きるんだ



ぼくらはみんな ズレている


ズレているから 嬉しいんだ



あらゆるズレ ただしたら


空も飛べるが


そんときゃ居場所は


つまりあの世



み…水だって オッケー達だって


アメブロだって



みんなみんな 生きているんだ


ズレズレなんだ。







感謝しようぜ。教育してくれたひとたちに。洗脳してくれた、あらゆる物事や人間たちに。




 権威や枠組みごとに線引して、このひとたちには感謝する、そのひとたちには感謝しない、そのモノどもには感謝する、そのモノどもには感謝しない、そんな難しいことをするから、すっきりしてみえる道を行きたがり、打算的な、成功者を真似するばかりのズレた生き方をしてしまうだろう。





いつ隕石が頭を直撃するかなんて誰にもわかんないんだ。



一生懸命理解につとめていれば、せめて感謝しないで差別しなさいって類の洗脳には、引掛からずに済むよ?