こんばんは。



ボクが指切りげんまんの約束のコ、もとこのなまえもたんじょうびもおもいだしてなお、みずきにこだわる理由。



子供の頃、きおくりょくがよわくて、じかんややくそくをまもれないボクが自分を取り囲む見えない壁をふしんにおもい、母にいろいろボクが生まれる前後のことを訊いたことがある。



ボクが保育園に行けたのは、母が入園の条件を満たすために嘘をついたし、他人にも嘘をつかせたからだったと知った。そりゃもうさすがに時効だろうが。



猫の件もそうだが、昔のひとたちは…今の人たちだってそうではあるが、しかたない、の5文字のまえには倫理観も捨てがちだ。



ボクはほんとうなら "あのひあのときあのばしょできみにあえなかった" はずの男の子だった。



それで、指切りげんまんを守ろうと力んでも、忘れたり迷ったり足が止まったり、見えない壁に幾度も阻まれたのかとしった。



でもボクとしても、なまえやたんじょうびはわすれても、もとことやくそくしたときの…指切りげんまんをする直前までの、ちいさな、まもるべき女の子の画像的な記憶は完全にはなくさなかった。



水城保育園という名前は忘れなかったし、その記憶は、みずきのおさないころの写真と合致していて、やくそくをしたコとは違う人だと知能ではわかっていても、なまえもたんじょうびも思いだせていない状態で、心では合致はむしろ強固なものになった。



嘘がなければもともとそこに居なかったはずのボクが、嘘ついたら針千本のまされるやくそくをして、精一杯おぼえられたやくそくのばしょのなまえをもつ、見た目がうりふたつのコがあらわれた。



太宰府市は、筑紫郡大宰府町だった。



へその緒の箱のシールに印字してあった。



※大宰府町はそのまえは、水城村だった。



水城村のまえはたぶん、吉松村だった。



地名が水城でないのに、なぜ水城保育園なんだろうかって不思議におもいつつ、確信していた。ここは昔水城という地名だったにちがいない。だって水城跡がものすごく近くにあるのに、水城村でなかったはずがない。



その確信は当たっていて、ウィキペディアで調べたら ※であることがわかった。



ただ、ウィキペディアでは大宰府町のことを、太宰府町と説明してあった。「、」がある。



昔は、太宰府でも大宰府でも、どちらでもよかったと聞いたことがある。



ボクと同い年の実家である。



低空飛行に苛まれても、女系成分多めでも、家制度は終わったんだよと合理的説明をなされても、ボクはあの家から完全には心を切り離せない。



みたことのない、でも垣間見ることはできる水城村を思って、ボクは低空飛行機の轟音もがまんすることができたようにおもう。



だれもうそをつかないせかいだったならかわさなかった指切りげんまんのやくそくと、水城村。



指切りげんまんというまじないの古さと相俟って、みずきはボクのアイデンティティーのひとつの要素となった。



不可能だったはずの指切りげんまんを守ろうとしていきり立つと、ボクはむしろ嘘つきになってしまう。それを、ボクは身をもって知る罪を幼い頃におかした。気持ちとしては呪いに勝ちたかったからだが、いきり立つと呪いに勝つ冷静な術がつかえなくなるんだろう。クロネコの貯金箱から家族の小銭泥棒をした。刑法違反ではないが、民法違反ではある。とうぜん、時効だが。



でも、反省がなければ時効の意味はなく、ボクは嘘つきは泥棒のはじまりって諺の泥棒になりたくなくて、必死に嘘をつかないためにはを頑張った。



嘘がないせかいなら指切りげんまんしなかったはずでその指切りげんまんをまもることはまるで嘘を肯定する意味になって…、ストレスの中そのへんを考えると頭がおかしくなりそうだったが、とにかくよほど悪法でないなら違法行為をしてはならないと己を制した。



そして指切りげんまんのやくそくも、いつかなまえを思い出すと、せめて元服の年齢まではしっかり守ろうとおもった。指切りげんまんの古さからいって、元服で結婚が正しいと思ったからね。だからほんと、女の子の友達とかつくらないように、かなり女子連中とは明らかに距離を置くタイプだったよ、16年間。




安心できないんだよ。


嘘をつかないようにどれだけ頑張っても、忘れたりいきり立って怒ってしまったりすれば、やくそくやぶりの嘘つきになってしまう。そんな日々は安心できない。


また、嘘をつかないよう自分だけどれだけ頑張っても、嘘をつく経営者とかだったら働いても不払いとか法律を守ろうとしたら解雇とか、そんな見える壁にもぶつかる。



そして妻にいくつも嘘をつかれ実子誘拐されて、イマココ、だ。



有名人と縁ができそうな機会はいくつかあったけど、一般のひとたちの現実や常識をいくぶん信頼してその機会は見送ってきたのに。よほど 一般 を隠れ蓑にするひとたちより、有名人のほうが胸を張って嘘をつかずに、立派に生きているではないか!と思ったんだよね。




ボクは指切りげんまんの呪術的な効力は、元服を過ぎただけではなく、昔の人の平均年齢をすぎた今となってはさすがに消えただろうと思っている。比喩的に言って、針千本飲んだと思うし、いまもなお飲み続けていると思うし。




ボクはみずきのとなりで、すごく安心できた。


見た目が合致したって、それ客観的には人違いで、人違いは離婚の合理的理由として法的にも認められているんだけど、主観的には人違いじゃないんだよ。



ボクは嘘をつきたくなくて。


それは、誰にも嘘をつかせたくないということでもあって。


そのためにやることは幾らでもあって。


そのなかで、みずきが輝いてみえて、愛おしくおもえて。電波やでんぱが力を貸して、インターネットが船頭してくれて。


ここ最近がある。




長崎大村まわりの走行記にも書いたけど、鹿島市の下り坂で、黒猫がボクを信頼して眺めていた。


家族の小銭泥棒はクロネコにかけられた冤罪的な呪いと関係している。あの、黒猫が横切るときなんとか指を隠さないと不幸になるとかなんとかいうやつ。あれほんと、クロネコに失礼だもんな。



かしまくんのかけた一夫多妻的な呪いを晴らすのは、嘘をつきたくないつかせたくないと長い年月かけて苦しんで、クロネコの信頼を勝ち得たボクの仕事だって、それが、みずきに固執する理由、ストーリー。





嘘をつきたくないつかせたくないという気概は、低空飛行区のストレスに打ち勝つためにはすごく助けになったし、支えになった。指切りげんまんに感謝もしている。




ただ現実問題ボクは、たぶんあのボクと同い年の家で一緒に暮らせる女性、嫁なんかはこの地球上にどこにもいないと思っている。とんでもない心の強さがないと、そこで気が狂って忘れて怒りっぽくなるボクとかに耐えられないだろ?きっと。あそこでなくてもボクの怒り方はレベチだとか言われて怖がられたのに。ボクはあそこから出てくるために身体はものすごく強くなったから、なおのこと。あそこのストレスで精神がヤラれると、危ないよ。まさに、お嬢さんお逃げなさい、だ。






良い人になりたい。


最善を尽くす。



それしかないって、ボクには。