こんばんは。
寛容にならなきゃいかんよう。
どーでも良っ、と思われて何よりな rute5です。
そもそもこのブログが約7年のブランクを明けたのって、実子誘拐された我が子らに私の雰囲気や空気感や考える向きなどを知ろうと思えば知れるようになので。我が子らのほかには深刻に読まれるべき話はほんとはそんなにないはずなんだったんだよね。社会問題はちったぁ深刻になっているけど。
ブスねえ…。
私なんか鏡の自分の顔に何かマシなものをとかは求めないからな。体つきをみて、おっ、腹筋割れて来たんじゃない?とか、競輪選手っぽくみえてきたんじゃない?とか、その手のために鏡つかっていて、あとはアシンメトリー具合や動きやすさをチェックって感じだから、それが客観に麗しいかどうかなんて、ほぼ気にしないんだよね。だから最近『新宿スワン』のひとみたいな爆発した髪型してたり、8:2分けしていたりする。服装も自転車用のウェア込みで考えなきゃ、ほとんど毎日変わらない。
考えすぎだなんて、他人から言わせる暇すら作らずひたすらに考えすぎてきたから、どうでもよくなるだろ?オレのブログ読んでるとw。これでも昔は言われたんだよ、考えすぎじゃない?って。いいーや考え事にすぎるという事はないなんてね、そこを突っ切って考えてきたわけよ。そうしてオレという存在がどーでも良いと思われるのが結局、オレの努力の賜物なんだよ。
オレが本性ずっと出してていいんなら、ほんとに殺気と殺意をずーっと垂れ流すようなやつになって、正直、東京の半分を滅亡させるにはどうしたらいいかを真剣に考えるようになると思うんだよね。
だから結局本性なんか禁じられて、どーでも良いやつになるしかないんだよ。もうそれは哀しいともなんとも思わないね。
そして言っとく。最上もがよ、みずきよ、好きだぞ。
だんだんわかってきた。
そういう顔のひとはそういう考え方をするもんなんだな。
女の人はメイクの裏に素の自分の顔をもっていて、メイクしていてもその素の顔に似合った考え方をするんだな。
考え方を変えれば素の顔も変わっていきそうなもんゃが、都会では考え方を変えられるほど空間の余白はないとみえる。
福岡では夜の玄海灘でも、ぼーっと眺めてったらいいさ。
遠藤周作も眺めた海だ。
君の前で義歯の前歯をつけたりはずしたりしたら、君は仰天するだろうか。それとも腑に落ちるだろうか。
ボクは親の義歯をみたとき、意外と驚いたよ。
ああ、オレのよりおおきな義歯だ。
親、としとったんだなあって。
チケットなくてもチェキ参加券🐸ってどゆこと?
出待ち推奨なのか?
けど、チェキ参加券も Bitfanだぜ?
オレ、みてのとおり、言葉にはうるさいからな。
カセットテープのラベルにさ、Mr.CHILDRENって、活字を貼るシールが、文房具店に売られていてさ。
Mr.Childrenの曲をそこにダビングしたことよりも、そうやってラベルを貼ること、よれないように集中して1文字ずつ、それでも轟音の下、びみょうにヨレてしまうけど、まぁなんとかまっすぐ貼れたこと。
ボクはそんなことが嬉しかったわけ。
そんな幽かなところに、自分の理性がちゃんと生きていることが確認できて、嬉しかったのよ。
神は細部になんとやらってね。
愛してるよ。
そんなに人気者なのに寂しいのかい。
人気者だからこそ、寂しくなるのかい。
でも最上もがは乖離した虚像でもないだろ?
いっぺん、オレの前で、すっぴんで、素っ裸で、最上もがです、って言ってみる?
そしたら、なーに言ってんだよミ〜ズキ♪って、虚式🟣でも喉にあててやろうか。
今回、福岡で、逢えるとは思っていないよ。
当日券は売らないんだよな?
誕生日、応援コインは贈るよ。
当日券がないってことは、その 最上もが は演劇公演では無いってことだよ。
電気的な存在で、それは君の未来でもあって。
言わば電話しているようなものさ。すぐ眼の前にいるひとと、わざわざ電話しているようなもの。
演劇における役のようには乖離した存在じゃないから、君自身の価値で みんな が喜ぶんだ。君がどうでもいいと みんな に思われないのは、君の努力の賜物だよ。
ボクは寂しいと思ったことが多分無い。
ひとりで、べつに誰に褒められるでもなく、九州3周して、雪が張る山の中、バーボン飲んで、寒いうすい寝袋で寝て至高の満足をするくらいだからな。
まぁ、私は、じつは人気者だしな!
ヌルフフフフフ!
今度、ゆうせいくんに送った自画像とだいたい同じ絵といっしょに、みずきのイラストも描いてアゲてみようか。ツーショットイラスト描いてみようか。
ちゃんと君の魂をとらえて描けるかどうかだよな。
8km離れた山に水汲みに行ってくる。
おやすみ。
那
向