おはようございます。
福岡出身の音楽プロデューサーがそもそも論でミスコン否定しとらっしゃった。
私はそれに反対の立場でもとろうか。
女性が美しさを競ったり知らしめたりっていうのは、オリンピックで金メダルとった女性に男らしさのハードルを天井まで上げられてしまった私からみたら、男性でいうスポーツにあたる種目だと思っている。
男らしさのハードルが天井まであがった事実からいって、男女平等には必ず構造的な限界があることを示唆するものだが、私はそれはそれで価値観の1つだと考える。
ルッキズムがいま低俗なのは、たとえば背の低いひとがミス日本に選ばれない、ランウェイを歩く国際モデルになれないところから美の基準を拝借しているからであり、選考の基準に照らしてさらに踏み込んでまた別の美を見つけていけば全然、ルッキズムも定義を変えていけるものである。
簡単に説明すると、私は背の低いちんちくりんの女性を可愛いとか美しいとか思うこともある。要は選考する側が空気読みとか保身をやめてアバンギャルドな意思を発揮して札をあげれば、ミスコンはまだまだ面白くなれるものであると云う。
上記は個人的意見になるけども。
個人的ではない、議論として反論するのであれば。
ミス日本の起こりを説明して時代錯誤だから辞めてしまえという論調なら、ミス日本否定のみをするべきだし、ミス日本の選考基準からミスコンすべてを否定する無理無理無理の意味が私にはよく分からん。選考委員をつとめたことでもあるのだろうか。
指摘がグロテスクとか、日本に骨を埋めたいとする彼女の真意がわからないとか、垢抜けたポップミュージックのヒットメーカーらしい発言はらしいなと思うしか無いが、実際、見た目で各種の自由や可能性を徒党を組んでまで否定したり削ぎ落としたりする悪い癖は、まだまだ日本にも、ほかの国々にも残っているだろう。私はそれをときに文字通り痛感してきたし。
私からみたら塩顔の日本人など表情や表現が乏しすぎてそれだけで説明不足の無礼という感覚があるが、私のバタ臭い顔をみて塩顔の日本人たちが男が表情で勝負するなんて卑しい、という感覚もまたあったとしてそれが関わる現場で大多数だと私は具体的に損害を被ることもあるわけで。ちなみにウクライナ人ですか?と冗談交じりでも半ばほんとうにルーツまで疑われ、言われたことが最近でもある日本人の私である。
平均寿命が下がったり、平均身長がゆるーく折り返したり。昨今の日本人はどこか昔の日本人に戻りつつあることも考え合わせれば、そもそも論としてミスコンどころか芸事をまず一旦辞めて食糧自給率を上げることだけに専念しようぜという話すらできそうなもんである。
それを暴論として認めないのであれば、選考委員のレベルアップに話の焦点を持っていくのが賢明な筋だと思う。
土が肥えていない海に囲まれた列島では、変わり得ない価値観もどこかずっと湛えられることだろう。
私達はそれらと真摯に向き合うべきで、一旦花開いた催し物を科目ごと抹消する暴論には、えげつないとして賛同できない。
那向