こんにちは☔。




 映画『バービー』をご覧なって、ご自身の育児によるキャリア形成の頓挫を憂い、その問題を考えることをなげかけた、Satoko Foxさんの記事を読んで、ちょぃとマジで考えをすすめてみました。


 途中、自分でも何を言っているのか追いついていけなくなりそうになりながら、そんなこと考えてもムダなんて思ってひといきに消しそうになりながら、なんとか綴り終えたので、以下にセルフコピペします。ほんとはコメント欄でアップする調子で書いていました。








こんにちはー。


いいねのお礼に女男平等を果たすにはを少し真剣に考えてみましたら、やはり格差社会やそれを指示する軍隊主義、戦争勝利者主義を辞める辞めさせる仕組みを目指さないといけないかなと思いました。それが差別の最先端ですから。


 そしてまたそのためには各肌色人種の造形や遺伝的な有意差を残酷なまでに一度実証してさらけだして並べてしまわねばならんように思います。

 アメリカ漫画がポリコレのしすぎで魅力に欠くなんて話が出ていますが、たぶん造形と遺伝子的な有意差から目を背ける不自然が、共感や物語の理解を阻むからなんでしょう。


 簡単に言って肌は白いほど引き寄せ型で、黒いほど押し離し型であると思います。そればかりは認めないと、そこから同じであろうとするとそれぞれの得手不得手も頭ごなしに否定することになります。

 それを認めた上に女男の有意差を被せてみていくと、不断のキャリア形成と子育ての両立のしやすい仕事としづらい仕事を、何%までしやすいものであるかまで見分けていけるのではないでしょうか。

 そのあとで法律で補助できるところはできるようにして平等を図っていけば、最初から個々人が平等であるはず!と猛って壁にぶつかるよりはスムーズなんだと思います。


 私は幼い頃に指切りげんまんしたコが、もしも途中で男勝りを諦めていたなら、今頃約束を守って一緒にいただろうと思っています。

 結局それは男勝りになれたぶん女々しい男でもちゃんとケアしたりそばに置いたりする度合いを増さねばならないということを考えないままでは、約束した男は普通のレベルよりもさらに飛び抜けて男らしい大人にならなくてはいけなくなるという、かなりの無理があるからです。


 造形と遺伝的有意差に基づく適材適所が限界をつくるので、その何%までの達成を1人前とみなすか、またその補助をする行為を仕事として評価できるか。補助すべき者が補助しなかったときに添削できるか。

 自分を含めない皆という言い方をするのとしないのとで、分別もって心の中までもそのパーセンテージの線引に嘘をつかないことが、その問題の解決につなぐでしょう。