こんばんは。
『橋本環奈、やめたほうがいい』を読みました。
アパレルに参入…というと言い方がアレですけど、ビジネス始めようと思っているらしか橋本環奈(ら)に、芸能人からブランドをおこすのは最初だけ勢いづくが、結局片手間じゃ無理だよと否定的アドバイスをする記事でした。
ちょっとね。そげん無碍に言うとらすとば読んだら、私もなんかかんがえてみたっちゃけどね。
橋本環奈の場合は、わりと上手くいくんゃなかろかって、思ったとょ。
なんでかっちゅうと、橋本環奈は私と同じで色素薄いやんか。
色素薄いひとってのはさ、そら芸能界におりゃ色とりどりの人たちのおって当たり前ゃけん、なんかそら、気楽にふつうに存在してられるよーな氣のすっやっが?けど一歩芸能界から外出たら、あたりまえにハーフ?とか聞かれるごとなるけんね。日本人としてはやはり、異質な、異分子的な見てくれなんばぃ、やっぱり。
その異分子に注がれる目線は期待もあれば諦めもある。あのこは良い意味でも悪い意味でも違うんゃけしょうがない、てね。日本人のもつ同調圧力や同化意識とでもいうやっか。そげなのって、芸能人や、髪の毛の色変えられる金銭的余裕のある若者とか、そげなひとたちの思う以上に強かとょ。
そぃけん、橋本環奈もたぶん抱えとると思うばぃ?どことなしか異質であることの心細さを。ようぅまくいっとるたぃね、芸能人としての活動。そら一応はまるもん、その異質は芸能人としては。でも、同時にわかっとると思うそれは一応なんゃって。そもそも芸能人ちゃずーっと第一線で出演しつづけるなんてごくごく限られたひとたちばっかで。あとはふつうに何人も居るなかのひとりとして出演するのが当たり前なんゃけん、そんななか、やはり歳を重ねていくなかで、実直にやれるもんのなからないかんって、もっとちゃんと、新しいひとたちも引き立てないかんし、年上の方々にも頑張ってもらわないかんて。紅白で司会が優勝言われてもしゃあないゃんか。もちろん堂々も堂々でそれを楽しみにしとんしゃぁかたのおらすとゃけん、それはそれできっちり仕事するゃろばってん。そこどまりにするわけにはいかん。
酒が好き、かすれた声。そのふたつは別に相互作用じゃなかろけんど、心細さから来るもんゃあると思うったい。
なんせほら、日本人て、わしの目が黒いうちは、とかいう言い方があるごと、目が黒いことがきちんと、べきことをする意味として思うゃんか。そういうひとたちの集まりゃんか、日本人て。
そこんな?
茶目っ気たっぷり、なんて扱いされる異質は、やはりあと一歩のところで確かであるとは認めてもらいがたいもんなんゃ。そゃから、心細ぅなるったぃ。
そぃけどな?
確かでないから、あと一歩が足りないから、それを服に託すんやろ。
異質が、同化したいと渇望する気持ちは、ものづくりにおいては強烈な動機になりうる。
そんなふうに考えることもできるやんか。
目の茶色か異質人間があと一歩目の黒かひとたちの気持ちと並ばせてもらえんのと同じように、もともと目の黒かコたちに橋本環奈の気持ちはわからん。
橋本環奈は夢やあこがれで服をつくらんと思うぞ。
あと一歩を埋めたくて、コミュニケーションのつもりで、服とか靴とかをつくれるとゃなぃと?
ささゃかゃが、コシのある、うどんみたいな、結局はお昼に食べたくなるような、そういう、意外と庶民感覚に寄り添ってくるよーな服ばつくっちゃれる氣のするばってんね。
若い割に映画の出演本数も結構なもんゃなぃか。
もしも橋本環奈が、華やかな芸能界、なんて幻想に生きていないとしたなら、アパレル、ブランド、うまくいくっちゃなぃと?
那向