おはようございます🌃。
昨夜のパーティーに満足して、今朝はいい気分で早起きですね。
で、かかとがなんか、背中経路から脳天まで短絡する感じがいまあって、これ、とても良さげではあるけども…ただ、いま歯をかみしめ始めて…食いしばりすぎはだいたいよくないから…うーん。
なんだったんだ、いまの、かかとがみっちり詰まった感覚は。
なんゃったかな。
なにをしたっけ。
なんゃっけ。
えーと…
かかとを意識したまま、両足を伸ばそうとしたのか。
意識するだけゃなくて、伸ばそうとした。しかも両足。
で、腸腰筋が反応したんかな。それで背中側にいって、そこから脳天まで。
あー。
そこで脚の付け根の内側を前転させなかったからか僅左臀部の断続挙げをしなかったから歯の食いしばりのほうにいっちゃったのか。
では、もう一回やり直し。
かかとを
はい。
まず僅左…のほうからやった、ら。
あくびが出た。そして食いしばりをすんでのところで防げた。
欠伸か。
欠伸による食いしばり防ぎ、いわゆるバリトンボイス出そうとする的なアレ。ソレでひとつ、食いしばりは防げるわけね。
ではもひとつ、脚の付け根…のほうをやってみる(←こんな思考試作、ノートとボールペンじゃ無理や。スマホブログならではゃ)。
はい。
足が回転してペダリングになった。
けど、食いしばりは防げなかった。
なるほどー。
たぶん、かかとを意識して僅左…も、脚の付け根…も、両方やって、良いペダリングや乗り方になるんゃろな。
これは、かかとからスネとアキレス腱、膝、腿骨、腸腰筋、背中、脳天へとつらなる短絡の連動。
両足伸ばそうとすることによって腸腰筋を両方とも生理反応として緊張させ、結果的に脳天からさらに前方まで短絡させようという動き。
そこに内転筋や肛門の筋肉の妙を与えて短絡が脳天から前まではいかないようにする制動なわけか。
3つ同時に意識するのは大変なので、1つ、ふだんから欠伸するような声の出し方をすることがその大変さを減らすかな。
かかとを意識したまま…ってことで、内転筋の前転の令速系的な難しさを、まるで大人になってシーソーの横に立ち内側と外側を両方同時にコントロールするような難易度に下げるのか。
実走行ではこれにハンドリングも加わってくるから、結構神経質な話になってきますな。
ここでの最も重要な発見は、両足伸ばそうとすることが腸腰筋の使用につながるということ。たとえ左右差があったとしても両足同時に伸ばそうとすることで腸腰筋に緊張がはしり、刺激が入る、使える。
長距離走行は 足を伸ばす と形容される。
これが腸腰筋の使用をうながす練習になるわけだ。
短距離種目と思われているであろう競輪選手も、それなりの長距離走行を練習として意味がないこたない理由が、そこにあるわけね。
欠伸のような…で食いしばりを防げるってのは低空飛行区から出てきて最高潮のスキルゃなからうか。
たぶん美味しいご飯たくさんたべてお酒も飲んで心身がリラックスしたから見つかった体の仕組み、やな。
ふだんから美味しいもん食べたりお酒それなりに飲んだりする人が、歯を食いしばらないわけだよ。
ていうか、低空飛行区とかじゃなければそうそうヒトは常時歯を食いしばらないもんゃろけどな。
手の込んだ料理を食べたってのはデカイよな。
お酒だけでもリラックス効果はあるだろうけど、手の込んだ料理は体脂肪率の増加を抑制した。体重は増えたけど。お酒と手の込んでいない料理だけなら筋肉量がそう増えずに体脂肪率は上がったろう。
料理上手な嫁さん欲しいなってなもんだろ。
結局男が大いに活躍できるかどうかは、女が料理上手かどうかに掛かってるんだろな。
とすると、私が勝利に貪欲でありたいなら、
料理下手な女性は眼中に入れんごとせないかんてこっちゃろ。
確かにこれまでの(まだこれからどうするかは決めていないが)私は勝利に貪欲ではなかった。女性が料理下手でもまぁいいよ、って思っていた。女男平等の名において、自分が料理下手だから他人にも期待してなかった。期待する資格は無いと考えていた。
けど、トレードオフ?
もし自身が屈強かつリラックスできていて、外でおおいに活躍し、勝利したいのであれば、嫁に料理上手は絶対的に求めなくちゃならん。あとの家事は自分もよくやったとしても。
こういう話にとりあえる賢い女性でなくてはならんのもあるね。
料理上手でいてくれ、って話に、家事はすべて女性の仕事だと思う男尊女卑!!とすぐに飛躍して拒絶反応しめすよーな、毛嫌いするよーな女性はダメだ。
こっちは屈強で君のためにも勝ってくるから、そっちは料理で勝負してくれよ、と、そういう取引契約なわけで。ほかの話まで暗示させているつもりも無いわ、こっちは。
自分で料理上手になればいいじゃん、とか言う女多そうだけど、それで 君のために勝ってくる を要求するやつはただの餓鬼だからな。
そこで、料理のほかの家事は私が担当するからあなたが料理上手になってよ、とか言える女性ならまだ有りや。そういうことなんよな、契約ってのは。
婚姻は、結婚生活は、最低限かつ最後の契約なんだ。
上記のように取引して、張りのある、栄えある人生にしていくものなんや。と、思う。
話のわかるあるいは通じる女性、乃至、料理上手な女性求む、ってとこだな。
かかとの話からこんな結論が出てくるか。
そりゃ、電子文でも綴ってみないとわからんわ。
那向書物