こんばんは。



キムラエイブンさんは、キムラヒデフミさんです。

木村栄文。


RKB名物プロデューサー。すでにお亡くなりのはずです。私ゃ2週間だけ付き人しましたものの。


彼のつくった作品をVHSで何本も借りて、たくさん観ました。実際に放送されたものです。ドキュメンタリーと銘打っていても、彼にとっては作品なんです。


彼はドキュメンタリーにフィクションをぶち込むことで有名でした。


ときにノンフィクションのはずの現場にあきらかなフィクションを、ときにフィクションのはずの存在にノンフィクション八割のフィクションを、そうやって比率の違うフィクションをぶち込むことで、じつのところ、その差異からドキュメンタリーを炙り出すということをやりたがる人でした。



彼は自分がどういうキャラクターとみられているかというのを、よくよく知っていました。


私はご覧の通り、自分のキャラなんかマジで気にしていないですけど、彼は自分を客観視し、キャラクターとして扱い、芝居を入れることをいたずらごころか表現手段としての機微として読んで、とにかく抽象的な意味で立ち回るひとでした、虚実を断りもなく駆使して。


別にイケメンや、よく顔の知れた人だけが演技をするわけじゃないんですよ。なんだか平凡そうにみえるひと、素朴そうにみえるひとも演技します。素朴そうなキャラであることを客観的に把握しているひとは、素朴そうにみせる演技なんかお手の物なんですよ?



そして、彼らは、たのしんでいました。


ときどき虚(フィクション)をぶち込むことを、演技、といわずに、芝居、と呼んで、芝居をする、と玄人ちっくに言って、早い話、嘘をつきます。こんなもんは嘘なんて大層なもんじゃねえよ、と言わんばかりに。たとえそれで周りや誰かが真剣に歪んだとしても。真剣に歪むやつが悪い、人生全部遊びみてえなもんだろうが、と、そういうスタンスですよ。



正直は悪徳である。



彼の言葉です。


ノリよく楽しく。別に仕事の良し悪しについて責任を感じて深刻になる必要なんかどこにもない。ただ、人とのつながりだけはバカにしてくれるなよ。友人は、友情は、これは本物なんだから。と、そういう観点でした。




私ゃやはり、すべて演技にみえますよ、例のコラぼへの NHKの謝罪動画。彼らにとっては、芝居、なんでしょうけど、私ら真剣な納税者にとっては、演技、なんですよ。



なんだ、こんな芝居に騙されてやがんのか?しゃあねえなぁこんなに分かりやすく砕けてやってんのに、まあ結局、俺等のほうが何枚もウワテだからな、せいぜい真剣に悩んで歪んでろよ。


彼らが動画の向こうでそんな調子で酒を飲んでいるのが目に映るようですが?




あンね?


芝居も、演技も、劇場で。きちんとそれとわかる表現でやれるほうが、ほんとうのウワテなんですよ。



そこは私は譲らない!







那向醒案仏