こんばんは。




車内です。




今晩は、なんだか寒くないです。




体調が良いみたい。




バイト開始時は体調良くなかったけど、あれはたぶん糖質とりすぎのインスリンショックだったんでしょう。




すごいなーと、あまりいい意味でなく、自分のことを思っています。




よくここまで突っ走ってきたよなー、と。




で、まだその走力の余波で、最上もが最上もが言うて。




けどまぁ、ほんとのところ、会いに行ったところでどうしようもないんだろなって、そんなことは思うんですよね。わかってるよそのくらい!とまでは言わないけど。




逃げられた者同士、なにか力添えできればとか、そこの共感はすり抜けたつもりだけど。




ただただ女っ気、色気が欲しくて何人か宣言して、女性芸能人のインスタをみてまわる習慣をつくった。婚姻したひとからは離れていくようにして。




昔から、カラフルであることは大事だって思っていた。


とことん黒白つける性格のつもりなんだけど、そのくせ、世界には、私にも、カラーが必要なんだって。




そしてカラーが必要だと思っていながら、ケータイメールに絵文字が登場したときはドン引きしたんだ。




小学生かな。



女子が 丸文字 を書いているのをみて、その労力に感服しつつ、シンプルに読みにくさから、攻撃性を感じとった。




女子の攻撃性を感じとった。





可愛い、は日本で正義となり何十年経ったろう。私はその起源が、じつは戦前より昔の、男性絵師から始まったものであるとつい最近知った。




ついていけないわけだ。





女子たちは、その男性絵師の放った 可愛い をジャンヌ・ダルクにして?しっかり隊列を崩さず行進していたのだ。





いまや、可愛くないものは樹海の木や岩のごとき位置づけである。





そう感じるのは、私がそれでもカラーが大事だと思っているからだ。








テンション下げさせてごめんね。





ボクがあげたテンションなぞ、カラ元気とあいなりまして。





粋とか野暮とか、まったく言い合わないみちすじをひとりトボトボと歩いてきた。





反対に、それがすべてなんだろう?江戸は。





もとこの話をしてみよう。





もとこは一応有名人だ。





もとこのサヨナラヒットをテレビで観た。





もとこの怒れる顔と、こまり顔の御父上の顔とを直接みた。





だが私はどちらのときも、何を成せば良いのかと口惜しさと悔しさとやるせなさとで何をも受け取れなかった。そしてたぶん、何をも与えられなかった。





私は私のすがたをほとんど鏡に写すことなく生きている。




一応写るからバンパイアのたぐいでないのは確かだが、鏡を、より向こうを見るための道具として使っている。自身を見るものとしてはほとんど使っていない。たぶん。




それでも生身のひとの瞳を見るより、鏡の自身を見ている気がする。




ヘトヘトで、いつになっても整わない自分である。




変形しつづける自分である。




とるべき責任をとったところで、完全無視をされる自分である。




何をする気も起こらなくて当然だ。




ただもう、完全無視をする者たちをは、もはやこちらからも完全無視をするようになったので、私はこの状況を、いじめられている、とすら定義せずにいる。




そもそも、上っ面のあかるさを維持しても、核心をつく話になると結局逃げられた私である。





────もとこの話をするんじゃなかったのか。












…。










もとこはいま、どうしているかな。




どこで働いているというのは一応知ったけど、そこから別なところに移ってやしないだろうか。




机に向かって勉強中だろうか。




テレビを観てコタツで寝ているだろうか。




わたしがフェイスブックをまともにあつかい、声をかけていれば、それなりに情報が得られ、それなりに判断材料になる話を得られただろうに。



なんなら今からでも得られるはずだろうに。




わたしはアメブロにこだわっているから。





わたしが電子的な近影をしらされてそれに恋をすることのできる(奥菜恵)不思議にとらわれて、そこからまるで動かないでいるものだから。





オッドアイは、いいよな。





きっとオッドアイは、目の茶色いわたしが見つめれば目が黒いひとの気持ちを理解でき、目の黒いだれかが見つめれば目が茶色いひとの気持ちを…たとえばわたしの気持ちを理解できる。





では、オッドアイの持ち主自身の気持ちは誰なら理解できるのだ?





夫愛なら理解するんじゃないか?





最近はもう、無事に長く続いておいでだろう、きっと。





藤田晋さんも、ホッとしておいでだろう。






私は他人のしあわせをよろこべるときとよろこべないときとある。






その分別はどこでつくのか、じつはわからない。



誰か、わかるひとがいるなら教えて欲しい。



私だって他人のしあわせを喜ぶばかりでいる、幸せな人になりたい。








…。









もとこは幸せだろうか。




もう私でない夫といっしょに、幸せに暮らしているだろうか。





私はそれを知ったとして、もしそうだと知ったとして、喜べるの?喜べないの?





最上もが最上もが言うとるからには、喜べるんゃなぃの?



ことはそう簡単ではないよね。






もとこをきちんと幸せにしたいから、わたちは自分に厳しくしてきたんだろう。




だが不思議な国だよ。




自分に厳しくしたところで、もとこを幸せにできる領域までたどり着けるわけでもなさそうな状況が、ずっとずっと続いている。







たとえば昨日は、体調優先で直帰したら、体脂肪率が、トレーニングをそれなりに頑張った日よりも減っていた。トレーニングをとても頑張った日よりは減っていなかったが。



とても頑張れるくらいの体調の良さでなければ、とっとと帰って風呂入って寝るべき、ということなのか?









そーかも。







もとこは、きっとこういう話に強いよね?






なにせ体育会系だもんね?






私は、文系かい?






そりゃこれだけ文字打ちやるんゃから、文系だろね。







わたしがわたしのブログの文言をAIにまとめさせれば、エッセイから自転車話、社会的な話や、男女の話など、何冊もの本が書けそうだよね。



これだけ文字打ちしてりゃぁね。





ずっとずっと、世間に爪痕残そうとし続けているんだよね?



ずっとずっと、白い壁に爪を立てて血で文字を書き続けているみたいな?








いつのまにか雨は止んでいた。



雷も去った。





まだ暖かい。






まだ暖かいよ。








このまま私が、もとこのことだけを考える男になれれば、あらゆる、すべてのひとが幸せになるのかな。








最上もがの熊本行きに、なにも、私がいく必要などないのかもしれない。



行っても、私は寂しさに恥をかくだけだろう。



ただひとり、カラーに憧れて。



必要なんだ。大事なんだって、カラーを追いかけて。






私は、カラー本人から、カラーを揃えられなかったダサくて根暗で妻子にも逃げられた陰惨なダークオーラで会場に佇み。



タバコでも吸っていれば格好がつくだろうに、それもせず。




内心はペダルを漕いでいるんだ。







ペダルを。








ペダルを。







踏むでもなく、引き付けるでもなく。







背伸びしながら────────。











カラーが必要なんだって。







まるで遺言のように、つぶやいて─────。



















那向