こんばんは。


暇空茜の録音声をたぶん初めて聞きました。


私より若い?


ちょっと緊迫感やストレスが大きいのか、同じことをクルクル発言する内容で、さすがに20分くらい聞いたあとで、コメント欄などを参考にして最後の方に飛ばしまして聞きました。

私は彼のストレスを共有する気はないので、彼が暗殺されるかどうかに関しては、まぁされないでしょ、のひとことです。


昔、劇団天地で、身体をクネクネさせて歩かざるをえない障碍をもつひとの提出した会計の記述は、そんな馬鹿げた、他者を舐め腐った書き方ではありませんでした。グウの音も出ないくらい用途が細かく精確に書き連ねられていましたよ。



いかに公権力を主張、期待されているような立ち場の者たちに、国民やお金や誠実さといったものをナメてガメている者たちが居るかを、暇空茜 YouTubeの最後の方で観ることができます。


ストレスを共有する気がないつもりで観るとじつは、彼がそんなに大した仕事をしているとも思えません。

誠実さと正義感は充分すぎるほど伝わってくるので、応援はできるもんならしたいですが、今は、最上もがを応援したい気持ちの次くらいですね。その次が私から去ってしまった元家族。

なんだろうな。なんと言って表現したらいいのか。



私の中では 女男平等 という言葉が言える段階で、興味の対象は 救うべき痛い目にあっているひと よりも、物差しとして私と二人で双極を生してくれるひと、にあるのですよ。

その双極をなすことに努力を怠らなければ、救うべき痛い目にあっているひと というのは副次的に、自然に救えると思っています。だってそもそも瞬間移動してその 痛い目にあっているひと のもとに物理的助力をひっさげて現れられるわけでもないですからね。




ただまぁほんと、今現在の自分たちの生きづらさとか貧しさとかは、世界大戦で負けたあとの延長としてあるということを理解、把握し、何が大事かの優先順位は誰にも見誤らないようにしていただきたいですね。





働かせていただきます


って言葉が、ほんとに謙虚さのある言い方なの?と気づければ、今回の暇空さんの音声を聴いて、とりあえずそれでいいかな?という感想です。



「思考を縛られるのがイヤだ」

というのが、彼の主張の要点だなと思いました。

彼が暗殺されるかなんてことより…、

私は自転車に乗っている間、(動きながら)自由に思考するのがじつはものすごく大変だということを、自転車考の卓越のために費やした年月を思って身をもって知っているので、鋳型や反面教師のようにして思考の自由を求めること、その限界のほうを心配します。



私が一夫一妻制に対して誠実であろうとすることも、性風俗で遊ぶよーな感覚からしたら充分ヘンジンなんですよね。逆もまた然り。




一夫一妻制がいいのか、一夫多妻制がいいのか、多夫一妻制がいいのか、それら支持者の軋轢は生まれてから死ぬまで終わらないと思いますから、ひとの身になって考えるべきとはいえ、特に敵視している者の気持ちになって自虐する必要もないと思いますよ。












那向醒案如来