才能で褒められても喜べないし、才能で貶されても哀しくはない。
努力を褒められれば嬉しいし、努力を貶されると哀しい。
そして不味いのが、褒められても貶されても見当違いの勘違いである場合。その勘違いした意識のままそいつが生きてるとそいつか誰かが死ぬって場合。
そういうときは褒めるのも貶すのも不味い。そういうときは怒るべきか怒らぬべきか、悩み、言葉を選ぶ。そのときは哀しくはないし、嬉しくもない。
貶しあって和気あいあいとできるのは努力なしの才能で生きていられている場合だろ。逆に言えばそいつらのほうが苦労知らずのボンボンだよ。将来のためと死ぬ気で授業受けていないヤンキーがデキスギクンよりボンボンでないとでも思ってんのか?
おそらく努力を貶されても平気ってやつはどこにも居ないよ。