手を下に提げているときは、


頭に腕くらいの長い角を生やして、


それを振る。


肉体としては、いつでもは万歳できないけど、


精神としては、いつでもその角で万歳しておく。



そしたら、手を床についたり壁についたりせずに動き出せるんだ。








ああ、そういえば、



飛行機の殺気や轟音の下で、子供の頃、目覚めて起きるのがつらいときは、手を伸ばし、それをだれかに握って引いてもらっているイメージを持つと、すっと起き上がれたのを思い出した。






私は昔から、見えないイメージがわずかでも質量やエネルギーを持つことをよく識っていた。






基本的にヒトはその、目には見えないイメージから、わかりやすいほどにではなくてもつねに影響を受けて生きている。




スピリチュアルをそのわずかでもの質量やエネルギーととらえないひとたちのやり方は、たとえば道端に落ちている誰からも忘れ去られた1円玉を決して拾いたがらないようなものだ。そこにそのまま打ち捨てておくよりはマシな使いようがあるだろうに。




愛としても使えるはずのその質量やエネルギーから目を背け、目に見える質量やエネルギーのみを金属機械などで倍がけしていい気になったって…。そのわずかな見えない質量やエネルギーだって、意識してか不意にでも集まれば目に見える質量やエネルギーになるんだってのに。




ただ、わずかであるのは間違いないので、そこに過大な期待をかけるのも油断になって、禁物なんだろう。







ピンポン 〠。






郵便物を受け取った。


受験票。


なるほどね。角がはえるわけだ。