おはようございます。
そーなんですよね。
日本語は察するのを期待しすぎるあまり、意趣返ししやすい隙だらけの文化です。
これ、鎖国していた時間、その、鎖国の歴史のあいだはそれで非常に便利に成立していた感があったためにそうなっただけであって、今からでも主語述語を充実させて、その隙をなくしていくことくらい可能なはずなんですよね。
ただ差別加害側からすれば鎖国の歴史のあいだは成立していたつもりでしょうね。差別被害側からすれば成立していなかった、その齟齬が、今現在、逆転現象としてあるいは売国政治として出ているんだと私は思っていますよ。鎖国の歴史のあいだ、変な刀の使い方をしての殺人とかそれにモノいわせての一夫多妻とかやってなけりゃぁ、たぶん今でも察するのを多大に、互いに期待しすぎて成り立っていたのでしょうけどもね。
バレエ教室の先生らしきひとが、XBBですか。私は副反応が重いと言いながらもまた新しく接種する予約をしたそうで、コメント欄でやめとけば?とひとこと言いたかったけれど。そのひとの気持ちを何通りも考えたすえに、このひとはどんな言い方をしようと、このひとが発信しているメッセージを他人が聞くことを期待してはいても、他人が発信してくるメッセージを自分が聞くことは期待していないよな、と、まぁ、早い話私が決めつけて。コメントすることを断念しました。こっちのわたしの長文にて、あ、これ私のことだ、と気づいてくだされば嬉しいんだけどな。
スケジュールの都合でそのひとにとって副反応が重かったモデルナしか予約とれなかったから、どうなるかドキドキしているんだそうです。ほんと、やめとけばいいのにって心底思うけど、それで命が助かると思っているひとからすれば、まさか接種をやめてくれというひとが、死ねばいいのに、でなくて、命をたいせつにしてくれと言っているとは、受け取ってくれないわけでしょう?
『呪術廻戦』渋谷事変、アニメが一応放送されよる如ぁーですけど、かっこいいと評判の五条先生。救ってほしいとおもっているひとしか救えないらしいって、嘆息つくのたしか渋谷事変でしたよね。
火山だの目から枝だの、ミゲルだの百鬼夜行な夏油ケンジャクだの、いやはや、それをモデルナだのファイザーだのにたとえて読み解いてくれれば五条先生が何を言いたいのかわかりそうなものですが。なんか、呪霊の醜さ、五条の勝利するときのカッコよさばっかり受け取るってんなら、やはり救ってほしいと思っているひとしか救えないらしいです。
加えていうと、昨今のアニメーターには中国人も朝鮮人も大勢混じっとるんゃないですか?彼らも一緒になってそのメッセージを表現しているんだっておもうと、軍略的な話でトゲトゲしてないでムネアツになれそなもんだけどな。
呪霊のもつ切実さだってカッコよいといえばカッコよいわけですよ。そういう見た目だけでなく中身のカッコよさ、それぞれのキャラクターが持つ切実なカッコよさに気づけば、読み解けるはずなんだけどなぁ〜。流行りもののメッセージ性に、メタファーとして気付けるほど、アニオタの読解力が成長するのはいつのことやら………。私は『魔女の宅急便』が子供の自立の物語だってのちゃんと受け取って観ていたし、宮崎駿さんがアニメは子供が観るもんだと思ってつくっているっての、ちゃんと伝わっていたから、大人になってからはもう観なくなっていったけどなぁ。『天空の城ラピュタ』だってさ。パズーもシータも観た感じ幼いのに、両親の りの字も見えないで、大人の良し悪しを命がけで、体当たりで見分けていくストーリーになってんじゃん。『千と千尋の神隠し』なんか言わずもがなでしょ。
自分自身の手慰みや暇つぶしや飯の種に書いて、教化書が問うよなメッセージ性なんて込めていないって言っているやつは度外視して。作り手のメッセージ性をただしく読み取らず受け取らずにアニメやほかの作品に盛り上がるのってやっぱり、依存心だと思いますけどね。他力本願というよりもう、依存心。人生の依存…。
そりゃあたとえていうなら、自転車は車道を走るものなんだ!と年齢とそれなりの技量に達したら、一念発起して歩道を走るのを辞めてもの話。ひとは心身が弱ることもあるからときに車道を走るのがキツイ、危ない、円滑にはできないと思う場合には、大人だって歩道を徐行していいとはおもいますけどね。大人だってたまにはアニメを観ていいとは思いますけどね。
お前2次元好きな最上もが好きじゃんと云われるとして、最上もががゲームアニメの2次元に憧れ2次元が好きなのをゆるすのは、オレが最上もがを女子供のたぐいだと思っているからですよ。
私が長文を尽くすのは、他人も自分も変えられるとはどこかで思っていても、けっして一足飛びや魔法のひとことで変えられるとは思っていないからです。
お酒のセンターで残業3時間/日以上縮める働き方改革をわが身ひとりから始めるとき、同僚多数がそのやり方で動いてくれるためにその職場で最もキツイ肉体労働である段積み業務を主軸に、どれだけでも身を粉にしましたけどね。1年半、こうすりゃいいじゃんこうしないなんてバカなの?みたいな安直な結論を願い出ずに、過程の共有と微細な置き換えに腐心しましたよ。そうして改革ってのは可能なんだろうななんてのは、まぁ読み取れますよね、同じ立場、同じ目線で働けばさ。
ブログひと記事書いたからって、なにか大きく変えられるなんて思っちゃいない。けどブログひと記事にだって、なにか大きく、良く変わってくれって願いを諦めちゃいない。
呪霊なりの切実なカッコよさを見落としたりしない。それでいて呪霊の罪を許したりしない。
意図を勘違いして嘲笑って居る場合じゃねんだ、そんな暇は無いんだ。相互理解のためには。
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